第2章 コペルニクス的革命(コペルニクス的転回) n.13 - ガリレオの『新科学対話』これら全てが相まって,異端審問所は天文学をとりあげ,そうして,聖典のいくつかの文句(聖句)から2つの重要な真理に到達した。「太陽が(諸惑星の)中心にあり,太陽は地球の周りを回らないという第一の命題は,愚かであり,馬鹿げており,神学において誤っており,明らかに聖書に反しているので異端である。・・・地球が(諸惑星の/宇宙の)中心ではなく太陽の周りを回るという第二の命題は,馬鹿げており,哲学上誤りであり,神学的な見地から見て,少なくとも,真なる信仰に反している。」ガリレオは,ここに至って(hereupon ここにおいて),ローマ教皇から異端審問所に出頭(appear before the Inquisition)するように命ぜられた。異端審問所はガリレオに自らの間違いを(認めて)放棄するように命じた。彼は1616年2月26日に(その命に従って)自説を放棄した。(そうして)彼は最早コペルニクスの見解を支持しないことを,即ち(or),それを書物においてであろうが,口頭であろうが(by word of mouth),最早教えないことを,厳粛に誓った。忘れてはならないのは(It must be remembered that )それは(ガリレオが自説を撤回したのは),ジョルダノ・ブルノーが焚殺されてからたった16年後のことだということである。 教皇からの要請により(注:at the instance of ~からの要請[依頼]により/instance はここでは「依頼/要請」の意),地動説を説く全ての書物は禁書目録(the Index)に載せられた。そうして今や(and now)初めて,コペルニクス自身の書物が非難された。(注:荒地出版社刊の津田訳では,「and now for the first time the work of Copernicus himself was condemned」のところは「そこで,まず第一に,コペルニクス自身の書物がやり玉にあげられた」と訳出されている。「for the first time」は「(それまでコペルニクスの著作は正式に非難されたことはなかったが)★初めて★非難された」という意味/「the Pope」は現在では「法王」ではなく,「教皇」と訳すのが定訳。ただし,駐日バチカン大使館は「ローマ法王庁大使館」と呼ばれているが,日本とバチカンが外交関係を樹立した当時の定訳が「法王」だったため、ローマ教皇庁がその名称で日本政府に申請しそのまま「法王庁大使館」になったとのこと、また,日本政府に登録した国名は、実際に政変が起きて国名が変わるなどしない限り変更できないとのこと。カトリック協議会のページを参照のこと。)ガリレオは,フローレンス(フィレンツェ)に隠退し,そこで暫くの間静かに暮らし,勝利した敵を怒らせることを避けた(avoided giving offence to)。 けれども,ガリレオは楽天的な性格の持主であり,常に,彼の機智(ウィット)を愚かな人たちに向けがちであった。1623年に,彼の友人であるパルベリニイ枢機卿が,ウルバヌス八世として,ローマ教皇に就いた。そうして,このことがガリレオに安心感を与えたが,それは(教皇は自分の友人だということから来る安心感は),結果が示しているように,根拠の薄いものであった。ガリレオは,「世界についての二つの偉大な体系に関する対話(Dialogues on the Two Greatest Systems of the World: 邦訳書名:『新科学対話』)の執筆を開始した。その本は1630年に完成し,1632年に出版された。この本の中で,論争を二つの「最も偉大な体系」、即ち,プトレマイオスの体系とコペルニクスの体系との間には,どちらが正しいか未解決のままにするという,見え透いたふり(flimsy pretence)があるが,実際は,この著作全体が後者(コペルニクスの体系)を支持する強力な論証である。これは才気あふれた書物であり,全ヨーロッパでむさぼるように読まれた。 |
Chapter 2: The Copernican Revolution, n.13The result of all this was that the Inquisition took up astronomy, and arrived, by deduction from certain texts of Scripture, at two important truths :“ The first proposition, that the sun is the centre and does not revolve about the earth, is foolish, absurd, false in theology, and heretical, because expressly contrary to Holy Scripture. . . . The second proposition, that the earth is not the centre, but revolves about the sun, is absurd, false in philosophy, and, from a theological point of view at least, opposed to the true faith.”
At the instance of the Pope, all books teaching that the earth moves were thereupon placed upon the Index ; and now for the first time the work of Copernicus himself was condemned. Galileo retired to Florence, where, for a while, he lived quietly and avoided giving offence to his victorious enemies. Galileo, however, was of an optimistic temperament, and at all times prone to direct his wit against fools. In 1623 his friend Cardinal Barberini became Pope, with the title of Urban VIII, and this gave Galileo a sense of security which, as the event showed, was ill founded. He set to work to write his Dialogues on the Two Greatest Systems of the World, which were completed in 1630 and published in 1632. In this book there is a flimsy pretence of leaving the issue open between the two "greatest systems,” that of Ptolemy and that of Copernicus, but in fact the whole is a powerful argument in favour of the latter. It was a brilliant book, and was read with avidity throughout Europe. |