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バートランド・ラッセル 自伝 第3巻第4章 - 1965年,数学者の G.スペンサー=ブラウン来訪 (松下彰良 訳)- The Autobiography of Bertrand Russell, v.3,n.4

前ページ 次ページ v.3,chap.4 (The Foundation) 目次 Contents (総目次)

第3巻第4章 バートランド・ラッセル平和財団


 1963年4月の少し前から,私の時間や思考(考えること)が,しだいにヴェトナムで行われている戦争に奪いとられるようになってきた。そのため,それ以外のことへの関心は,大部分見捨てられなければならなかった。(とはいっても)もちろん,自分の時間のいくらかは,家族や個人的な問題に費やされている。それに,極めてまれに(in a blue moon),自分がかつて関心をもっていたこと,つまり哲学の問題,あるいは特に論理学の問題,などに心を傾ける機会を持っている。しかしそういった仕事については,(遠ざかっていることや年令のせいで)私の能力はさびついてしまっており(鈍くなっており),また,かなり内気になっている。1965年に,若い数学者の ジョージ・スペンサー=ブラウンGeorge Spencer-Brown, 1923~2016)が,彼が言うには彼の研究を理解できる者は私(ラッセル)以外に見当たらないからということで,自分の研究をみてほしいと強く求めてきた。私は,以前少しだけ彼の研究をみた時好意的に思ったので,また,定着した無関心という不利な条件に抗して,自分たちの新しいそして未知の研究に対して注目してもらおうと努力しつつある人たちに心から同情(共感)することから,私は彼と彼の研究したものについて語りあうことに同意した。しかし彼が到着する時間が近づくにつれ,私は彼の研究や彼の新しい表記体系(記号法)を十分理解することはできないだろう,と確信するようになった。私の心は(自分の能力の衰えを自覚されるだろうという)恐ろしさでいっぱいになった。しかし,彼がやって来て,彼の説明を聞いた時,私はもう一度数学に足を踏み入れて,彼の研究をわかってあげることができるということがわかった(注:ラッセル93歳の時のことです!)。私はその数日間というもの大いに楽しんだ(注:Unwin Paperback 版では,enjoyed は enoyed と誤植)。特に彼の研究が独創的なものであり,同時に非常に優れていると思われたので,楽しかった。

v.3,chap.4: Foundation

Since shortly before April, 1963, more and more of my time and thought has been absorbed by the war being waged in Vietnam. My other interests have had to go by the board for the most part. Some of my time, of course, is spent on family and private affairs. And once in a blue moon I have a chance to give my mind to the sort of thing I used to be interested in, philosophical or, especially, logical problems. But I am rusty in such work and rather shy of it. In 1965, a young mathematician, G. Spencer Brown, pressed me to go over his work since, he said, he could find no one else who he thought could understand it. As I thought well of what little of his work I had previously seen, and since I feel great sympathy for those who are trying to gain attention for their fresh and unknown work against the odds of established indifference, I agreed to discuss it with him. But as the time drew near for his arrival, I became convinced that I should be quite unable to cope with it and with his new system of notation. I was filled with dread. But when he came and I heard his explanations, I found that I could get into step again and follow his work. I greatly enjoyed those few days, especially as his work was both original and, it seemed to me, excellent.

(掲載日:2010.6.1/更新日:2012.8.17)