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バートランド・ラッセル 自伝 第3巻第2章 - 1962年9月開催の集会に参加(松下彰良 訳) - The Autobiography of Bertrand Russell, v.3

前ページ 次ページ v.3,chap.2 (At home and abroad) 目次 Contents (総目次)

第3巻第2章 国の内外で


 パグウォッシュ運動は,現在ではしっかりと定着するとともに,科学と国際問題との関係におけるかなりの進歩の一部であると思われる。私自身は,最近数年間のそうした進歩には直接にはほとんど関係を持ってこなかった。私の関心は,戦争(そのもの)や,特に大量殺戮兵器 -とりわけ核兵器- を絶滅するために,人々(一般民衆)や各国政府を説得することへ向けての新しい計画(づくり)へと方向が変わっていた。この様なこれまでになかった新しい努力を進める過程で,より保守的な科学者たちの眼には,私はかなり評判の良くない存在に映るようになっていると感じた。パグウォッシュ運動(組織)は,1962年9月,全世界からの科学者が参加する大規模な集会をロンドンで開催した。私はその集会でパグウォッシュ運動の創設(の経緯)について話をすることになっており,私は友人たちに,自分はきっと非難の言葉をあびせられる(野次られる)だろうと,警告した。私は(保守的な科学者には評判が悪いので)そうなるだろうと強く確信していたからである。(しかし)私が演壇に立つと,スタンディング・オベーション(出席者立ち上がっての拍手喝采)が沸き起こり,私は深く感動した。スタンディング・オベーションは,ヘイルシャム卿(Quintin McGarel Hogg, Baron Hailsham of St Marylebone, 1907-2001))を除く出席者全員が行ったと,知らされた。ヘイルシャム卿は英国政府の文部科学大臣の資格で出席していた。彼は,個人的には私に対し友好的であると考えているが,当日は職務上重荷を負わされ,固くなって坐っていた。その集会が,私がパグウォッシュ会議において公的な役割を果たした最後の機会であった。

* この後に書簡集等(18通の書簡とラッセル=アインシュタイン宣言の共同記者会見)が続きます。しかし,書簡集については本文の邦訳(改訳)が完了してから適宜邦訳することにして,第3巻第3章に進むことにします。

v.3,chap.2: At home and abroad

The Pugwash movement now seems to be firmly established and part of the respectable progress of scientific relations with international affairs. I myself have had little to do directly with its progress in the last years. My interest turned to new plans towards persuading peoples and Governments to banish war and in particular weapons of mass extermination, first of all nuclear weapons. In the course of these fresh endeavours, I felt that I had become rather disreputable in the eyes of the more conservative scientists. The Pugwash movement held a great meeting of scientists from all over the world in London in September, 1962. I was to speak about the founding of the movement and I warned my friends that I might be hissed - as I was fully convinced that I should be. I was deeply touched by being given a standing ovation when I rose to speak which included, I was told, all the participants, all, that is, save Lord Hailsham. He was present in his capacity as the Queen's Minister of Science. He was personlly, I think, friendly enough to me, but, weighed down by office, he sat tight. That was the last occasion on which I have taken public part in a Pugwash conference.
(掲載日:2009.11.18/更新日:2012.5.6)