(本館)  (トップ) (分館)
バートランド・ラッセルのポータルサイト用の日本語看板画像

バートランド・ラッセル 自伝 第2巻第2章 - ウィトゲンシュタィンと知り合う(松下彰良 訳) - The Autobiography of Bertrand Russell, v.2

前ページ 次ページ v.2,chap.2 (Russia) 目次 Contents (総目次)

第2巻第2章 ロシア

 (1919年12月の)クリスマスに,私とドーラはハーグ(オランダ)で落ち合った。ハーグには,友人のウィトゲンシュタイン(注:Ludwig Josef Johann Wittgenstein:ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン,1889年4月26日-1951年4月29日)に会うために出かけていた。私は,第一次世界大戦前に(注:1911年),ケンブリッジ大学において初めて,ウィトゲンシュタィンと知り合いになった。彼はオーストリア人であり,また彼の父親は大富豪であった。ウィトゲンシュタインは,技術者になろうと考えていて,その目的ために,マンチェスター(大学)に行っていた(で勉強していた)。数学(の本)の読書を通して,彼は数学の原理に興味を持つようになった。そこでマンチェスター大学で,数学の原理について研究している者はいないか尋ねた。誰かが私の名前に言及した。それで彼はトリニティ・コレッジに住居を定めた。
 彼は,情熱的で,深遠であり,強烈で,抜きん出ており,おそらく,私が今まで知りえた人間のなかで,伝統的に思い描かれてきた天才の最も完璧な実例であったであろう。彼には一種の'純粋さ'があり,それと匹敵するものは,G.E.ムーア(George Edward Moore,1873年11月4日-1958年10月24日)以外に知らない。私は,一度彼をアリストテレス協会(注:アリストテレスの研究団体ではなく、アリストテレルの名前を冠した「哲学の体系的研究のためのアリストテレス協会」のこと)の会合に連れていった時のことを記憶している。その会合には,多くの愚劣な連中が出席していたが,私は彼らに対し丁重な応待をした。私たちがその場を離れた後,彼は激怒し,彼らがいかに愚かであるか,彼らに言ってやらなかったのは道徳的堕落だと,私に怒鳴り散らした。
 彼の人生は波乱にとんでおり,困難なものであった。また彼の精神力(personal force)は,並はずれていた。彼はミルクと野菜だけで生活していたミセス・バトリック・キャンプベル(注:Mrs Patrick Campbell, 1865-1940:英国の著名な舞台女優)バーナード・ショー(注:George Bernard Shaw, 1856-1950)について「彼がビーフステーキを食べてくれたらどれだけ救われることか!」と感じたように,私はウィトゲンシュタインに対し,同様の感情を抱いた。(注:肉を主食とする人から見れば,ベジタリアン(菜食主義者)は食べたい肉を無理やりたべないようにしているため,欲求不満がたまって残酷になる,といった思いか。)
 彼は,毎晩のように深夜午前零時(at midnight)に,私に会いにやってきて,興奮しているが何も言わず,野獣のように,3時間,部屋の中を行ったり来たりした。ある時私は彼にこう尋ねた。「あなたは,論理学について考えているのか,それとも自分自身の罪について考えているのか?」「両方です」と彼は応え,彼はなおも行ったり来たりし続けた。私は彼にもう就寝する時間だと言いたくなかった。というのは,私のそばを離れると,彼は自殺するかもしれないと,多分私にも彼にも,思われたからである。トリニティ・コレッジに来てからの最初の学期の終わりに,彼は私のところにやって来てこう言った。「あなたは,私のことをまったくの'馬鹿'だと思いますか?」 私は言った。「どうしてあなたはそのようなことを知りたがるのですか?」 彼は答えた。「もしそうだとしたら私は飛行士になります。もしそうでなかったら哲学者になります。」 そこで私は彼にこう言った。「いや,あなたがまったくの馬鹿かどうか私にはわかりません。しかし,もしあなたが休暇中に,何でもいいですから,あなたが興味を持つ哲学上の問題について論文を書いてくれたら,それを読み,あなたが馬鹿かどうかをあなたに言いましょう。」 彼はその通りにした。そしてその論文を次の学期の初めに私のところにもって来た。私はその最初の一文を読むや否や彼が'天才'であることを確信するにいたった。そして,彼はどんなことがあっても飛行士になるべきではないと納得させた。
 1914年の初め,彼は非常な興奮状態で私のところにやって来て,こう言った。「私は,ケンブリッジ(大学)を離れます。いますぐに離れます。」と言った。「なぜ?」と,私は尋ねた。彼はこう答えた。「義理の兄がロンドンで暮らすためにやってきたからです。そんなに近いところに彼がいることには,とても耐えられません。」 そこで彼は冬学期の残りの日々を,ノルウェーの最北部で過ごした。
 (ウィトゲンシュタインと知り合いになってから)>早い時期に,G.E.ムーアに,ウィトゲンシュタィンのことをどう思うか,たずねたことがある。「私は,彼について好感を持っています。」とムーアが言った。私がそう思う理由を尋ねると,彼はこう答えた。「なぜかと言うと,彼は,私の講義を聞いて困惑しているように見えますが,他の誰も,私の講義に当惑していないからです。」
* ウィトゲンシュタインの写真(右下)出典:R. Clark's Bertrand Russell and His World, 1981.

At Christmas Dora and I met at the Hague, to which place I went to see my friend Wittgenstein. I knew Wirtgenstein first at Cambridge before the War. He was an Austrian, and his father was enormously rich. Wittgenstein had intended to become an engineer, and for that purpose had gone to Manchester. Through reading mathematics he became interested in the principles of mathematics, and asked at Manchester who there was who worked at this subject. Somebody mentioned my name, and he took up his residence at Trinity. He was perhaps the most perfect example I have ever known of genius as traditionally conceived, passionate, profound, intense, and dominating. He had a kind of purity which I have never known equalled except by G. E. Moore. I remember taking him once to a meeting of the Aristotelian Society, at which there were various fools whom I treated politely. When we came away he raged and stormed against my moral degradation in not telling these men what fools they were. His life was turbulent and troubled, and his personal force was extraordinary. He lived on milk and vegetables, and I used to feel as Mrs Patrick Campbell did about Shaw: 'God help us if he should ever eat a beefsteak.' He used to come to see me every evening at midnight, and pace up and down my room like a wild beast for three hours in agitated silence. Once I said to him: 'Are you thinking about logic or about your sins? 'Both', he replied, and continued his pacing. I did not like to suggest that it was time for bed, as it seemed probable both to him and me that on leaving me he would commit suicide. At the end of his first term at Trinity, he came to me and said: 'Do you think I am an absolute idiot?' I said : 'Why do you want to know?' He replied : 'Because if I am I shall become an aeronaut, but if I am not I shall become a philosopher.' I said to him: 'My dear fellow, I don't know whether you are an absolute idiot or not, but if you will write me an essay during the vacation upon any philosophical topic that interests you. I will read it and tell you.' He did so, and brought it to me at the beginning of the next term. As soon as I read the first sentence, I became persuaded that he was a man of genius, and assured him that he should on no account become an aeronaut. At the beginning of 1914 he came to me in a state of great agitation and said : 'I am leaving Cambridge, I am leaving Cambridge at once.' 'Why?' I asked. 'Because my brother-in-law has come to live in London, and I can't bear to be so near him.' So he spent the rest of the winter in the far north of Noray. In early days I once asked G. E. Moore what he thought of Wittgenstein. 'I think very well of him', he said. I asked why, and he replied: 'Because at my lectures he looks puzzled, and nobody else ever looks puzzled.'
(掲載日:2006.12.01 更新日:2011.8.14)