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バートランド・ラッセル 自伝 第1巻第4章 - ウェッブ夫妻の功績(松下彰良 訳)- The Autobiography of Bertrand Russell, v.1

前ページ 次ページ 第1巻 第4章(婚約期間)累積版 総目次


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 ウェッブ夫妻は,英国社会主義に知的バックボーンを与えるのに偉大な働きをした。(松下注:日高訳では,The Webbs をウェッブ夫妻としたり,ウェッブ派の人々としたりしている。学生に下訳させてあまり見直さなかったのだろうか?)彼らは,(ベンサム流)功利主義者たちがその初期に(19世紀初頭の)英国急進派のために果たしたのと同様の働きを,程度の多少はあれ,果たした。ウェッブ夫妻と(ベンサム流)功利主義者たちは,ある程度のドライさと冷酷さ,それから,感情は紙屑籠にいれてしまうのがよいという信条を共有していた(Jeremy Bentham, 1748-1832: 最大多数の最大幸福説を主唱)。しかし(それでも)功利主義者たちとウェッブ夫妻は,同様に,その教義を熱狂的な支持者たちに教えていた(松下注:「熱狂的な」支持者・追従者に,'感情・情熱'は余分なものだと説いたことに対するラッセルの皮肉?)。ベンサムとロバート・オーエン(Robert Owen, 1771-1858: イギリスのユートピア社会主義者,協同組合主義の創始者)は,よくバランスのとれた知的な後継者を生み出すことができたし,ウェッブ夫妻もケア・ハーディ(Keir Hardie, 1856-1915:英国労働党初代党首/右下左側の写真 )もまたそうであった。誰に対しても,全ての事柄について,人類に対し価値を付け加えるものであるようにと要求すべきではない。求めるべきは,全体のなかの幾分かは,人類に対し価値を付け加えるものでなければならないということであろう(?) ウェッブ夫妻もこの試練を通り抜けており,もしもウェッブ夫妻がいなかったら,英国労働党はもっと粗野で荒っぽいものになったであろうことは疑う余地はない。
 彼らの衣鉢をついだのは,ウェッブ夫人の甥のスタッフォード・クリップス卿(Sir Stafford Cripps, 1889-1952:英国の政治家(労働党),蔵相(1947-50))であった。彼らがいなかったならば,英国の民主主義が,我々が経てきた困難な時代を同じように忍耐をもって耐えぬいてこられたかどうか疑問である。

 シドニー・ウェッブに会ったことを家で話したが,その時,祖母はかつてリッチモンド(訳注:ラッセルが18歳まで住んでいた Pembroke Lodge のある町)で彼の講演を聴いたと応えた。そうして,祖母は,「彼は,あまり・・・」と言ったので,「あまり何ですか?」としつこく聞いたところ,とうとう祖母はこう言った。「あの人は,知性もマナーも,紳士ではありません!」
The Webbs did a great work in giving intellectual backbone to British socialism. They performed more or less the same function that the Benthamites at an earlier time had performed for the Radicals. The Webbs and the Benthamites shared a certain dryness and a certain coldness and a belief that the waste-paper basket is the place for the emotions. But the Benthamites and the Webbs alike taught their doctrines to enthusiasts. Bentham and Robert Owen could produce a well-balanced intellectual progeny and so could the Webbs and Keir Hardie. One should not demand of anybody all the things that add value to a human being. To have some of them is as much as should be demanded. The Webbs pass this test, and indubitably the British Labour Party would have been much more wild and woolly if they had never existed. Their mantle descended upon Mrs Webb's nephew, Sir Stafford Cripps, and but for them I doubt whether the British democracy would have endured with the same patience the arduous years through which we have been passing.
I mentioned at home that I had met Sidney Webb, my grandmother replied that she had heard him lecture once in Richmond, and that he was 'not quite. . . .' 'Not quite what ?' I persisted. 'Not quite a gentleman in mind or manners,' she finally said.

(掲載日:2005.07.14/更新日:2011.2.20)