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バートランド・ラッセル 自伝 第1巻第4章 - 婚約期間(松下彰良 訳)- The Autobiography of Bertrand Russell, v.1

前ページ 次ページ 第1巻 第4章(婚約期間)累積版 総目次

 1889年の夏(ラッセル17歳),私がロロ叔父さんと一緒に,ハインドヘッドの傾斜地(斜面)にある彼の家に住んでいた時(参考:ロロ叔父さんの家),ある日曜日,叔父さんは私を長い散歩に連れ出した。ファーンハースト近くのフライディズ・ヒルを下りながら,叔父さんは言った--「ある家族が引っ越してきて,この家に住むことになったんだ。そこでこれからその人達を訪ねようと思う。」
 私は内気だったので,それは嫌だと思い,どんなことがあっても夕食までいるようなことはしないようにと叔父さんに懇願した。彼はそんなことはしないと言ったが,実際は夕食までいることになり,私はそのことを喜んだ(松下注:アリスがいたため)
 その一家はパーサル・スミスという名前の米国人で,家族構成は,年とった両親,結婚した長女とコステロと言う名前の夫,休暇で(米国の)ブリン・マー大学から戻っていた次女,それから(オックスフォード大学の)ベリオール・コレッジに在学している息子,であることがわかった(松下注:'we found' という表現から,ロロ叔父さんは,その一家の知人ではなく,近くに引っ越してきた人に挨拶に言ったということだと思われる。)
(彼女の)両親は,その全盛時代は,有名な福音伝道派の伝道者であったが,父は自分が若い女性にキスをしているのを見られたことからわきあがったスキャンダルの結果,信仰を失っていた。また母は,年をかなりとっており,そのようなスキャンダルのため嫉妬で神経をすり減らす(寿命を縮める)ようなことはなかった。義理の息子のコステロは利口な人間で,急進主義者であり,ロンドン州議会の議員であった。(松下注:1888年制定された「地方行政法」により,イングランドとウェールズ全体に州議会,大都市などには特別市議会,ただし首都ロンドンにはロンドン州議会(The London County Council,LCC)が設置された。)。彼は私たちが晩餐をとっている最中にロンドンからやって来たばかりで,当時進行中であった大港湾ストライキの最新ニュースをもたらした。この港湾ストライキは,従来よりもより下層組合員まで労働組合主義(の考え方)の浸透が鮮明になったため,かなり関心をひき,また重要性をもったものであった。彼がストライキの進行状況を説明している間中,私は口を開けたまま聴き入ったが,現実に触れたと感じた。ベリオール・コレッジから戻っていた息子は,聡明な誓句調で話し,人を馬鹿にするかのようにやすやすと何でも知っているように思われた。
In the summer of 1889, when I was living with my Uncle Rollo at his house on the slopes of Hindhead, he took me one Sunday for a long walk. As we were going down Friday's Hill, near Fernhurst, he said : 'Some new people have come to live at this house, and I think we will call upon them.' Shyness made me dislike the idea, and I implored him, whatever might happen, not to stay to supper. He said he would not, but he did, and I was glad he did.
We found that the family were Americans, named Pearsall Smith, consisting of an elderly mother and father, a married daughter and her husband, named Costelloe, a younger daughter at Bryn Mawr home for the holidays, and a son at Balliol.

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The father and mother had been in their day famous evangelistic preachers, but the father had lost his faith as the result of a scandal which arose from his having been seen to kiss a young woman, and the mother had grown rather too old for such wearing life. Costelloe, the son-in-law, was a clever man, a Radical, a member of the London County Council. He arrived fresh from London while we were at dinner, bringing the latest news of a great dock strike which was then in progress. This dock strike was of considerable interest and importance because it marked the penetration of Trade Unionism to a lower level than that previously reached. I listened open-mouthed while he related what was being done, and I felt that I was in touch with reality. The son from Balliol conversed in brilliant epigrams and appeared to know everything with contemptuous ease.
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(掲載日:2005.06.21/更新日:2011.2.5)