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バートランド・ラッセル自伝 第1巻第3章 - 役に立たない講義(松下彰良 訳)- The Autobiography of Bertrand Russell, v.1

前ページ 次ページ 第1巻 第3章(ケンブリッジ大学時代)累積版 総目次


 私が学部生の頃は,彼ら全員を単に滑稽な人物とみなしていたが,私がフェロー(松下注:いわゆる一般的な「特別研究員」ではなく,「特待校友」)になり,トリニティ・コレッジの会議に出席するようになると,彼らは悪の恐るべき勢力であるとわかり始めた。(英国国教会の)聖職者でもあった下級学生監(松下注:'dean' は,「学部長」などの一般的な意味ではなく,オックスフォード及びケンブリッジ大学における,コレッジの学生監のことを言うらしい。'junior dean' というのは,1,2年生の指導をする学生監のことを言うのだろうか?)が,自分の幼い娘をレイプし,梅毒のため身体が麻痺し,その結果解職されなければならなくなった時,トリニティ・コレッジの学寮長は,会議において,本題を外れ,わざわざ'我々(評議員)のなかで定期的に礼拝式に出席しない者は,礼拝式での価値ある説教がいかに立派なものであるかまったくわかっていない'と述べた。以上の3人(注:学寮長,副学寮長,下級学監のこと?)に次いで,トリニティ・コレッジにおける最重要人物は,守衛長であったが,彼は王族のような威厳をもった堂々とした風貌をしていたので,学部生からは将来のエドワード七世(Edward the 7th, 在位1901~1910/ラッセルが学部生の時は,皇太子であったため,「将来の」という形容詞がついていると思われる。/右欄上肖像画参照)私生児だろうと想像されたほどであった。私がフェローになった以後のある時,連続して5日間,極秘の評議会が開催されたことを私は知った。非常に困難ではあったが,私は,彼らの相談事がなんであったかがわかった。彼らはその守衛長が5人の寝室係(の女性)(松下注:コレッジにおける寮生のベッドメイキング役) --『トリニティ・コレッジ規則』Statutes)により,彼女たちは'若くも美しくもなかった'。-- と不適切な(みだらな)関係を結んだという痛ましい事実を立証することに従事していた。
(松下注:'nec juvenis, nec pulchra' 英語の junior はラテン語 juvenis 「若い」の比較級で,junior 「より若い」に由来する。ラテン語 juvenis を語源とする英語には,他に juvenile 「少年少女の,若い」がある。また,pulchra は,ラテン語で'美しい'の意/学生と問題を起こすといけないので,『トリニティ・コレッジ規則』では,寝室係の女性は若い女性や美人は雇用しないことになっているようである。)
 学部生として私はトリニティ・コレッジ(ケンブリッジ大学の学寮の一つ)の教師達は,大学には全く不要であると確信していた。彼らの講義は,何の役にもたたなかった。それゆえ私は,いずれ自分が講師になった時には,講義をすることが何かの役に立つものだとは思わないようにしようと自分自身に誓った。そして私はこの誓いを守った。

英国の大学における学部とコレッジとの関係(メモ)(注:なお,米国はカレッジ,英国はコレッジと発音)
・教員も学生も,学部とコレッジの両方に所属する。
・学生は,コレッジの中で,教員とともに起居を共にする。
・学部(Faculty; Department)では,比較的大人数の講義が行われる。
・学部は大学の3年で変えることができるが,コレッジは変えることができない。(ちなみに,英国の大学は3年(ただし,東洋研究のように語学の勉強が必要な場合は4年)が普通
・コレッジの授業の中心は,スーパー・ヴィジョン(個人授業)であり,(1,2年生は)週1回1時間ほど,コレッジの教員が1対1で指導する。(3年生以上は,専門性が必要となるため,学部がスーパーヴィジョンの責任を持つことになる。)

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While I was an undergraduate, I had regarded all these men merely as figures of fun, but when I became a Fellow and attended College meetings, I began to find that they were serious forces of evil. When the Junior Dean, a clergyman who raped his little daughter and became paralysed with syphilis, had to be got rid of in consequence, the Master went out of his way to state at College Meeting that those of us who did not attend chapel regularly had no idea how excellent this worthy's sermons had been. Next to these three the most important person in the College was the Senior Porter, a magnificent figure of a man, with such royal dignity that he was supposed by undergraduates to be a natural son of the future Edward the Seventh. After I was a Fellow I found that on one occasion the the Council met on five successive days with the utmost secrecy. With great difficulty I discovered what their business had been. They had been engaged in establishing the painful fact that the Senior Porter had had improper relations with five bedmakers, in spite of the fact that all of them, by Statute, were 'nec juvenis, nec pulchra'.
As an undergraduate I was persuaded that the Dons were a wholly unnecessary part of the university. I derived no benefits from lectures, and I made a vow to myself that when in due course I became a lecturer I would not suppose that lecturing did any good. I have kept this vow.