三浦俊彦 - ラッセル関係エッセイ索引

(エッセイ) 三浦俊彦「マイ・ロングセラー②」

* 出典:『読売新聞』2002年8月24日付夕刊掲載
* バートランド・ラッセル『ラッセル幸福論』(岩波文庫)について

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 「学生」になった日から、とりあえず読みたくなる種類の本というのがある。私の頃は「幸福論」と「哲学入門」。この二つは黙って漁ろうという雰囲気があった。
 哲学や人生論が本当に面白いと期待しちゃいないから、そういうものを真面目に読んだ自分の姿勢そのものに満足するわけである。たいていの場合、それで何事もなく通過儀礼めいたアリバイ作りが果たされる。しかし幸か不幸か「む…!」背筋がのびて立ち止まってしまう者もいる。私を呼び止めたのはバートランド・ラッセルだった。
 哲学入門風はサルトルだのヤスパースだのずいぶん味見してみた中で、このラッセル、モノが違う。俄然、面白い。なんてクリアな、フェアな、力強い議論なんだ。
 受験英語や参考書の定番であるラッセルだから、高校時代に『幸福論』や『自叙伝』の断片を読まされてはいた。そのせいでこの大哲学者は損しているというか、論壇でも暗に「しょせん教科書ライター」的軽視を被っているのではなかろうか。しかしちゃんと読んでみると深い深い。いま考えると、ソクラテス流弁証法の伝統に最も忠実なのがラッセルおよびその傘下の英米分析哲学なわけだが。
 流麗な生松敬三訳『哲学入門』も、誤訳多いが味わいある堀秀彦訳『幸福論』も長らく絶版らしい(ともに角川文庫)。そのかわり、安藤貞雄新訳の三部作『幸福論』『教育論』『結婚論』が健在だ。幸福の自力獲得法をとことん理詰めで説得してゆく緩急自在な断定口調。敬服し抱腹しながら「本当に幸福になれそうな本だぞ!」と友人に薦めまくった熱が懐かしい。学生時代の特権、しかし案外まれな特権「心底カブれちゃう」を楽しむ幸運を得たのも、まことに、稀代の名文家ラッセルのおかげである。