ラッセルの名言
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ラッセルと日本

  1. 私は,病気になる前,中国を離れた後,日本で講演旅行をすることを引き受けていた。(
  2. 私たちは,猛暑のなか京都から横浜まで(東海道線で) 10時間の旅 をした。
  3. ある時,私たち同様日本を旅行中の歴史家アイリーン・パワー(Eileen Power,1889-1940:英国の経済史家,中世研究者)と一緒に郊外電車に乗っていたとき,席が一つも空いていなかった。
  4. 私たち(ラッセル夫妻ほか)が会った中で本当に好ましく思った日本人は,唯一ミス・イトウ(注:伊藤野枝)という女性だけであった。
  5. 関東大震災の時,彼女(注:伊藤野枝)がその無政府主義者と同棲している家に,憲兵隊(注:甘粕正彦憲兵犬尉/原文では the police '警官隊'になっているが,甘粕は憲兵であるので,精確には'憲兵隊')がやって来た。
  6. 中国に対する日本の政策の細目にふれる前に、「黄人(Yellow Races)」という枠の中であたかも中国と日本とがある種の単一体であるかのように考える読者の癖を否定する必要がある。
  7. ペリー提督の艦隊到来以降,日本人は自己保存が非常に困難な状況にあり続けてきており,'自己保存'自体が責められるべきと考えるのでないかぎり,彼ら(日本人)が'自己保存'に成功したこと(事実)は,日本人の教育方法の正当化のための理由を与えることになる。