眼を爛々とさせたラッセル
the news of my death
私たちは,猛暑のなか京都から横浜まで(東海道線で) 10時間の旅 をした。暗くなってすぐの頃,横浜に到着した。そうして,私たちはカメラマンたちが連続的にたくマグネシウムの爆発音で迎えられた。マグネシウムが一回爆発するごとにドーラはとび上がったので,流産するのではないかという心配が増した。私は'怒り'で我を失った。私がそんなふうになったのは,かつてフィッツジェラルド(注:受験予備校であるクラマーの寮で同じ部屋を共有した仲間)の首を絞めて殺しそうになった時以来,この時だけであった。私は,フラッシュライト(閃光灯)をもっている男性カメラマンたちを追いかけたが,'びっこ'をひいていたためにつかまえることができなかった。私は間違いなく殺人をおかしたであろうから,そのことは幸いであった。一人の冒険心のあるカメラマンが,怒りで眼が爛々としている私の写真を撮ることに成功した。私がそのように完璧に狂気じみて見えるようになるなどとは,この写真がなければついぞ知らなかったことである。この写真で私は東京に紹介された。(出典: ラッセル『自伝』第2巻第3章「中国(+日本)」)
We made a ten hours' journey in great heat from Kyoto to Yokohama. We arrived there just after dark, and were received by a series of magnesium explosions, each of which made Dora jump, and increased my fear of a miscarriage. I became blind with rage, the only time I have been so since I tried to strangle FitzGerald. I pursued the boys with the flashlights, but being lame, was unable to catch them, which was fortunate, as I should certainly have committed murder. An enterprising photographer succeeded in photographing me with my eyes blazing. I should not have known that I could have looked so completely insane. This photograph was my introduction to Tokyo
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2, 1968, chap. 3: China.
More Info.:https://russell-j.com/beginner/AB23-150.HTM
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