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ラッセル『私の哲学の発展』(松下彰良・訳)

My Philosophical Development, by Bertrand Russelll

(London; George Allen & Unwin, 1959)

総目次

第7章 数学原理-その哲学的側面 イントロ累積版

  1. 1900年から1910年までの間ずっと、ホワイトヘッドと私の二人は、我々の時間のほとんど(bulk of 大部分)を、最終的に『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』(Principia Mathematica)となったもの(仕事)に費やした。

  2. 『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』の第一の目標(目的)は、純粋数学の全体が純粋に論理学的な前提から帰結し(導出され)かつ、(それは)論理的名辞(logical terms 論理項)によって定義される概念のみを用いる(持ちいている)、ということを示すことにあった。

  3. (発展の方向の)不愉快な側面は、疑いもなくとても不愉快なものであった。

  4. 当初私は、自分の推理に何かつまらない間違いがあるにちがいないと考えた。

  5. (ラッセルのパラドクスよりも)もっと古いパラドクス(論理的矛盾)があり、それらのいくつかは古代ギリシャ人たちに知られており、それらは私の発見したのと同様と私には思われる問題を引き起こした。

  6. 『数学の諸原理』(The Principles of Mathematics, 1903)において,私はこのパラドクスの解答(解決策)を発見したとは言わなかった。

  7.  『数学の諸原理』(1903年出版)を終えると、私は、これらのパラドクス(ラッセルのパラドクス)の解決策を見つけ出す断固とした試みに腰を落ち着けて取り組んだ。

  8. 私が解決(法/策)を探し求めていたとき、解決(法/策)が完全に満足すべきものであるべきなら、三つの条件が満たされなければならないと思った。

  9. 技術的な詳細に立ち入ることなく、型の理論(タイプ理論)の大まかな原理(the broad principles)について説明することは可能である。

  10. 今なら私は(今の私なら)、問題をいくらか違った言い方をするであろう。

  11. (論理的矛盾の)解決策が満たすべき上記の三つの条件の第三のものに関して、私はある理論を展開したが、他の論理学者達は気に入らなかったように思われる。

  12. 先に言及した「記述の理論(記述理論)」は、1905年に、雑誌「マインド」掲載の私の論文「指示について(On Denoting)」のなかで初めて述べられた(ものである)。

  13. 私は私の論拠(argument)として、「スコット」(注:Walter Scott)という名前(固有名)と、「ウェイヴァリーの著者」(注:"Waverley"はスコットの書いた小説のタイトル〕という記述との対比をとりあげた。

  14. 固有名と記述との間にあるもうひとつの重要な区別は、固有名はそれが名指す(名づける)何ものかが存在しなければ、一つの命題において有意義なものたりえない(意味を持たない)のに対し、記述はそういう制限にしばられないということである。

  15. 記述理論はまた、「存在(existence)」の意味についても光を投じた。

第8章