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バートランド・ラッセル 自伝 第3巻第3章 - 学者的な楽しみ?(松下彰良 訳)- The Autobiography of Bertrand Russell, v.3,n.3

前ページ 次ページ v.3,chap.3 (Trafalgar Square) 目次  Contents (総目次)

第3巻第3章 トラファルガー広場


 当時の数年間,多くの演説や論説記事の執筆を行なったが,たいていは核問題に関するものであったので,まれにしか(それらの仕事を)楽しむことができなかった。しかし,時折,コペンハーゲンで経験したように,他の事柄で楽しい脱線をすることができた。しばらくしてから,私はタイムズ紙(ロンドン・タイムズ)への手紙(投書)の中で,大胆にもシェークスピアの注釈までも行った(注:Rougledge 版の原文は,'exigesis' となっており,exegesis の誤植)。(私がタイムズ紙に手紙を送るまでの)数週間,印刷本に収録されたソネット(十四行詩)は誰に捧げられたものかということに関する,思慮深い手紙や悪意に満ちた手紙が新聞社に殺到していた(注:日高氏は,'printed sonnet' を「新聞に掲載されたソネット」と誤訳されている。ラッセルがここで言っているのは,'手稿本'に収録されたソネットとの対比で「印刷本収録の」と言っている。)。イニシャルの'W.H.'について,あれやこれやと,大いに想像をたくましく,博識ぶりが発揮され,解釈された。私には,'W.H.氏'というのは,メルキセデク(Melchisedek)の例のように(松下注:「Melchizedek, Melchisedek, Malki Tzedek のように」という意味か?),実際は,そのソネットの'唯一の父親(誕生の原因)'である'W.S.氏'(シェークスピア)のささいな'誤記'であるように思われた(注:onlie = only)。私は,躊躇しながらも面白半分に,思い切ってこの私の考えを発表したのである。すると誰も私の手紙(投書)を取り上げる人はおらず,この問題に関するタイムズ紙への投書は,以後一つも掲載されなかった。私は,学者的な楽しみを駄目にしてしまったように思われる。
 ある晩,私は多くのアジア人学生たちと共に(BBCの)アジア向けの放送をした。私がその出来事(放送録画or生放送?)が行われたホテルの廊下の階段をおりていた時,小柄で軽快な女性が,壁沿いに間隔をおいて置かれている大きな赤い豪奢な玉座(?)の1つから飛び出てきて,私の前に立ち,朗読口調で,「そして私はシェリーは,率直な人間だということがわかりました」と言って,そこに坐り込んだ。私はよろめき,打ちのめされた。しかし私はうれしかった。(注:ラッセルはシェリーの愛読者)

v.3,chap.3: Trafalgar Square

I have seldom enjoyed my many speeches and articles during these years as they usually concerned nuclear matters. But now and again I have made a pleasurable excursion into other matters as I did at Copenhagen. I even ventured, a little later, into Shakespearean exegesis in a letter to The Times. For some weeks there had raged a discreet and venomous correspondence concerning the probable person to whom the printed sonnets were dedicated. The initials W. H. were interpreted this way and that by great stretches of imagination and with much learning. It seemed to me that, like Melchisedek, Mr W. H. was a clerical error for Mr W. S. who was, in truth, 'the onlie begetter' of the sonnets. I ventured, hesitantly and half in fun, to put this view forward, No one took it up and no further letters appeared on the subject. I fear that I spoiled the scholarly fun.
One evening I broadcast over the Asian service in company with a number of Asian students. As I walked down the corridor in the hotel where the occasion took place, a small, bird-like lady leapt from one of the huge red plush thrones placed at intervals along the wall, stood before me and declaimed, 'And I saw Shelley plain', and sat down. I tottered on, shattered, but delighted.

(掲載日:2009.12.23/更新日:2012.5.24)