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バートランド・ラッセル 自伝 第3巻第2章
エディスとパリ見学(松下彰良 訳)

The Autobiography of Bertrand Russell, v.3

前ページ 次ページ v.3,chap.2 (At home and abroad) 目次  Contents (総目次)

第3巻第2章 国の内外で

 私たちの初めての遠出(遠距離の旅行/遠征)は,フォンテーヌブロー行きだった(右欄の地図出典:Google Map, 2009/フォンテーヌブローは右下)。その時,公的ないさかいとして注意を喚起していた唯一のものは,ペルシアの石油の独占権を得ようとしたモサデク(1880-1967:1951年にイラン首相となり石油国有化を実行したが,1953年に国王派のクーデターにより失脚)の企てであった。それはさておき,私たちの幸福は,平穏な世界において可能であるだろうものとほとんど同様に,隠やかなものであった。フォンテーヌブローは,陽光にあふれ,温暖であった。私たちは,非常に多量の野いちご(注:Fraise des Bois:フレーズ・デ・ボワ)>と生クリーム(「生クリームをかけた野いちご/野いちごのナマクリームがけ」)を食べた。
 また私たちはパリに遠出(遠征)した。パリでは,思いがけなく,ラジオ・フランス(注:ラッセルのいう French Radio は,パリに本部を置くフランスの公共ラジオ放送局であるラジオ・フランス(Radio France)のことと思われる。)が,私の過去のラジオ放送(出演)に対し,かなり高額の現金をくれた。その金はよりまじめなものにも使うとともに,ホテル・デュ・ボワのレストランでの豪華な昼食代にも使った。パリでは,テュイルリー宮殿の庭園(Tuileries Gardens)を散歩し,ノートル・ダム大聖堂に行った。フォンテーヌブロー城には一度も行かなかった。そうして私たちは,多いに笑った。時々はまったくどうっていうこともないことに笑った。
 私たちは,その後もパリで休暇を過ごしたことがある。特筆すべきは1954年にパリで過ごした休暇で,その時はもっぱら観光にだけ時間を費やそうと決めた。私たちはどちらも以前かなり長い間パリに住んでいたことがあったが(注:ラッセルは,1894年9月~11月16日まで,パリ英国大使館名誉館員),私の方は,見物すべぎと推奨されている所や物は何一つ見に行ったことがなかった。バトー・ムッシュ(注:1949年創業のセーヌ川クルーズ会社名及び,その会社のクルーズ船のこと)に乗ってセーヌ川を上り下りしたり,多くの教会や美術館や花や小鳥の'市'を訪れるのは楽しかった。しかし,私たちは,'つまずき'も経験した。(即ち,)ある日,サント・シャペル(Sainte chapelle:「聖なる礼拝堂」という意味で,パリのシテ島にあるゴシック建築の礼拝堂)へ行った。サント・シャペルは,礼拝堂の建築美について説明を聴いているアイスランド人で満員だった。私の姿を見つけるや,彼らはその説明を聴くのをやめ,最重要の'見もの'だとして,私のまわりに集まってきた。私のサント・シャペルでの想い出は,いくらか自分に'ひいき'したものであろう。私たちは,最高裁判所(Palais de Justice - 最高裁判所)の向かい側にあるお気に入りのレストランのテラスに退却した。翌日,私たちは二人とも好きだったシャルトル(Chartres:パリ南西にある商業都市。有名なゴシック様式のシャルトル大聖堂がある。)ヘ行った。しかし,なんということか, -これ以上ないというほど- 絵葉書や土産物であふれた'観光のメッカ'に変わってしまっていた。

v.3,chap.2: At home and abroad

の画像 Our first long expedition was to Fontainebleau when the only reminder of public squabbles was owing to Mussadeq's attempt to secure a monopoly of Persian oil. Apart from this, our happiness was almost as serene as it could have been in a quiet world. The weather was sunny and warm. We consumed enormous quantities of fraises du bois and creme fraiche. We made an expedition into Paris where, for past services, the French radio poured unexpected cash upon me that financed an epic luncheon in the Bois, as well as solemner things, and where we walked in the Tuileries Gardens and visited Notre Dame. We never visited the Chateau at Fontainebleau. And we laughed consumedly - sometimes about nothing at all.
We have had other holidays in Paris since then, notably one in 1954 which we determined should be devoted to sight-seeing. We had each lived in Paris for fairly long periods, but I had never visited any of the things that one should see. It was pleasant to travel up and down the river in the bateaux mouches, and to visit various churches and galleries and the flower and bird markets. But we had set-backs: we went to the Ste Chapelle one day and found it full of Icelanders being lectured to on its beauties. Upon seeing me, they abandoned the lecture and crowded about me as the 'sight' of most importance. My remembrance of the Ste Chapelle is somewhat garbled. We retreated to the terrace of our favourite restaurant opposite the Palais de Justice. The next day we went to Chartres which we both love. But, alas, we found it turned - so far as it could be - into a tourists' Mecca full of post-cards and souvenirs.