第2巻第5章 テレグラフ・ハウス時代末期(承前)
財政的見地から言えばこれは喜ぶべきことであったが,テレグラフ・ハウスから離れることは苦痛であった。高原と森と四方八方に眺望のきく塔の中の自分の部屋を私はとても愛していた。私はテレグラフ・ハウスを40年以上も前から知っており,兄(所有)の時代に徐々に(増築されて)大きくなっていくのを見守った。(注:日高氏は「だんだんと草木が植えられていくのを見守った。」と誤訳されている。)テレグラフ・ハウスは,継続性というものを象徴していた。継続性は,仕事は別にすれば,自分の生涯を通して,自分が望んだよりもはるかに少なかった(注:4度の結婚,転居,その他いろいろ)。 私はその家を失った時,(ロメオ・トジュリエットに出てくる)薬屋が(禁止されている毒薬を売る時に)言ったように,「私の意志ではなく,貧乏が承諾するのです」と言えるものであった。その後長い間私は,定まった住所(定住地)をもたなかったし,また持てそうもないと思った。テレグラフ・ハウスの件は心から残念に思った。 |
v.2,chap.5: Later Years of Telegraph House
Although, for financial reasons, I had to be glad to be rid of Telegraph House, the parting was painful. I loved the downs and the woods and my tower room with its views in all four directions. I had known the place for forty years or more, and had watched it grow in my brother's day. It represented continuity, of which, apart from work, my life has had far less than I could have wished. When I sold it, I could say, like the apothecary, 'my poverty but not my will consents.' For a long time after this I did not have a fixed abode, and thought it not likely that I should ever have one. I regretted this profoundly. |