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バートランド・ラッセル 自伝 第2巻第5章 - 亡き両親に親孝行(松下彰良 訳)- The Autobiography of Bertrand Russell, v.2

前ページ 次ページ v.2,chap.5 目次 Contents (総目次)

第2巻第5章 テレグラフ・ハウス時代末期(承前)


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 私とピーター・スペンス(正式には Patricia Spence)とは,私の両親の短い生涯の記録である『アンバーレイ・ペイパーズ』(の編纂)に,約一年半を費やした。私は,しばらくの間,彼女に恋していた。この仕事には,何か'象牙の塔'的なところがあった。両親は,(我々が抱えている)現代の問題にはまだ直面していなかった。即ち,両親の急進主義は確信に満ちており,彼らの全生涯を通して,世界は彼らにとって良いと思われる方向へ動いていた。それから,両親は貴族の特権に反対していたけれども,それは無傷のまま生き残った。そして両親は,意識はしていなかったけれども,その恩典に浴していた。両親は,心地良い,広々とした,希望に満ちた世界に住んでいた。しかし,そのような生き方であったにもかかわらず,私は全面的に両親を是認することができた。このことは,心に安らぎを与えるものであり,また,両親にこの記念碑を捧げることによって私の孝行心が満たされた。しかし,この仕事は本当に重要なものだというようなふりをすることはできなかった。私は,以前,すべてがつまらなくて何も創り出す仕事のできない一時期があったが,それも終わった。そうして,何か自分の専門からそう遠くない仕事に戻る時がきた。

v.2,chap.5: Later Years of Telegraph House

About a year and a half was spent by Peter Spence, with whom for some time I had been in love, and me on The Amberley Papers, a record of the brief life of my parents. There was something of the ivory tower in this work. My parents had not been faced with our modern problems; their radicalism was confident, and throughout their lives the world was moving in directions that to them seemed good. And although they opposed aristocratic privilege, it survived intact, and they, however involuntarily, profited by it. They lived in a comfortable, spacious, hopeful world, yet in spite of this I could wholly approve of them. This was restful, and in raising a monument to them my feelings of filial piety were assuaged. But I could not pretend that the work was really important. I had had a period of uncreative barrenness, but it had ended, and it was time to turn to something less remote.

(掲載日:2009.04.24/更新日:2011.10.29)