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『ラッセル自伝』AB22-180(松下彰良・訳)

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* 右下ラスト出典:B. Russell's The Good Citizen's Alphabet, 1953.
(第2巻第2章 ロシア)(承前)


1920年5月13日,ペトログラードにて

 私がやって来たのは(経験したことのない)見慣れない世界です。美が失われつつあり,生活状態が厳しい世界です。私は,賢い人間であれば決して尋ねないような,解決が非常に困難な根本的問題にたえず悩まされています。誰も住んでいない(使われていない)宮殿,満員の食堂,破壊されたかもしくは博物館に防腐保存されている古の卓越した遺物があり,一方では,アメリカナイズされて(革命後の)ロシアに戻って来た亡命者たちのぞんざいな自信が市内全域に広がっています。すべてがシステマティックになされなければなりません。組織化されなければならないし,分配は'公平'になされなければなりません。(日高訳では,「正義そのものも普遍的なものでなく,区分的(部分的)なものなのです。」となっている。これでは逆の意味になってしまう。)万人に対し,同じ教育,同じ衣類,同じ住まい,同じ本,同じ信条を与えなければなりません。それは正しいことであり,他人を'ねたむ'余地を与えないとされています。他の国々の,私には幸運と思われる,不公平の犠牲者は別ですが。
 さらにまた,議論の別の側面から見てみます。私は,ドストエフスキー(1821-1881)の「罪と罰」,ゴーリキーマクシム・ゴーリキー,1868-1936)の「この世において」(岩波文庫版『世の中へ出て』のことか?),トルストイ(1828-1910)の「復活」を思いだします。古の卓越したものが築き上げられ,それらの土台となった,破壊と残酷についていて想いをめぐらします。即ち,生命と健康が無益に浪費された貧困,酩酊及び売春について思いをめぐらします。また,ピョートル大帝とパーベル一世の時代に苦難にあった,すべての自由愛好者たちのことを考えます。皮鞭の刑(昔ロシアで用いられた皮の鞭でたたく刑),ポグロム(昔ロシアで行なわれた少数民族に対する組織的虐殺)及び大虐殺について思い出します。古いものを憎むことによって,新しいものに寛容になることができます。しかし,私は,新しいという理由だけで,新しいもの好きになることはできません。
 けれども私は,新しいものを好きになれない自分を責めます。新しいものは,活力あるものが当初に持つ特徴のすべてをもっています。それは醜く野蛮ですが,建設的なエネルギーに満ちるとともに,新しく創り上げようとしているものの価値に対する信念に満ちています。社会生活のための新しい組織機構を創造するにあたり,新しいものは,組織機構以外のものについて考えるゆとりを持っていません。新しい社会の中心部分ができあがった暁には,それに魂を入れることを考える時間のゆとりが充分生まれてくるでしょう。少なくともそのように(そのような時間が生まれると),私は確信しています。「我々には,新しい芸術や新しい宗教のための時間的ゆとりはありません」と,彼らは私に,少し性急に言います。(しかし)肉体(機構の中心部分)をまず先に作り,その後に必要とするを注入することがはたして可能かでしょうか。可能かもしれませんが,私には疑問に思われます。
 これらの問題について,理論的な回答を,私はまだ見つけ出していません。しかし私の感情は,恐ろしく執拗に答えてきます。私はここの雰囲気がとても嫌いでこの上なく不幸です。その功利主義,また,愛や美や衝動的な生活に対する冷淡さには,息がつまりそうです。ロシアの権力者たちは人間の単なる動物的欲求を重要だと考えていますが,私は彼らと同じような重要性をそれらに与えることはできません。疑いもなくそれは,ロシアの権力者の多くの人々のように,飢えと欠乏のうちに半生を過ごした経験が私にはないからでしょう。しかし,飢えと欠乏は必ず知恵をもたらすでしょうか(=彼らが飢えと欠乏にあったので英知を得られたといえるでしょうか)。飢えと欠乏は,すべての改革者に霊感を与えるものであるべき理想社会を,彼らに思い描かせることを,多少なりとも,できるようにするでしょうか。私には,飢えと欠乏は,視野を拡げるどころか,かえって狭くするという信念を捨て去ることはできません。しかし,解決が容易でない疑問がまだ残っています。そうして私の心は,2つに引き裂かれています。・・・。

Petrograd, May 15, 1920

This is a strange world into which I have come, a world of dying beauty and harsh life. I am troubled at every moment by fundamental questions, the terrible insoluble questions that wise men never ask. Empty palaces and full eating-houses, ancient splendours destroyed, or mummified in museums, while the sprawling self-confidence of returned Americanised refugees spreads throughout the city. Everything is to be systematic: there is to be organisation and distributive justice. The same education for all, the same clothes for all, the same kind of houses for all, the same books for all, and the same creed for all- it is very just, and leaves no room for envy, except for the fortunate victims of injustice in other countries.
And then I begin upon the other side of the argument. I remember Dostoevski's Crime and Punishment, Gorki's In the World, Tolstoy's Resurrection. I reflect upon the destruction and cruelty upon which the ancient splendour was built : the poverty, drunkenness, prostitution, in which life and health were uselessly wasted; I think of all the lovers of freedom who suffered in Peter and Paul; I remember the knoutings and pogroms and massacres. By hatred of the old, I become tolerant of the new, but I cannot like the new on its own account.
Yet I reproach myself for not liking it. It has all the characteristics of vigorous beginnigs. It is ugly and brutal, but full of constructive energy and faith in the value of what it is creating. In creating a new machinery for social life, it has no time to think of anyihing beyond machinery. When the body of the new society has been built, there will be time enough to think about giving it a soul - at least, so I am assure. 'We have no time for a new art or a new religion', they tell me with a certain impatience. I wonder whether it is possible to build a body first, and then afterwards inject the requisite amount of soul. Perhaps - but I doubt it.
I do not find any theoretical answer to these questions, but my feelings answer with terrible insistence. I am infinitely unhappy in this atmosphere - stifled by its utilitarianism, its indifference to love and beauty and the life of impulse. I cannot give that importance to man's merely animal needs that is given here by those in power. No doubt that is because I have not spent half my life in hunger and want, as many of them have. But do hunger and want necessarily bring wisdom? Do they make men more, or less, capable of conceiving the ideal society that should be the inspiration of every reformer? I cannt avoid the belief that they narrow the horizon more than they enlarge it. But an uneasy doubt remains, and I am torn in two ...
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(掲載日:2007.01.2.28 更新日2011.8.26)