右欄上写真出典:The Life of Bertrand Russell in Pictures and in His Own Words, comp. by Christopher Farley and David Hodgson, 1972.
第2巻第2章 ロシア(承前)
I 1920年4月24日,ロンドンにて 私が出発する日が近づいています。やらなければならない事が非常にたくさんありますが,いまだ何もしないでここに坐っています。役に立たない考え,自分をよくコントロールできる人なら決して浮かばないような無関係かつ反抗的な考え,また,誰もが仕事をすることによって消してしまいたいと望みながらもそれらの考えそのものが逆に仕事を消してしまうような考えを心に抱きながら,無為な状態で座っています。自分の信ずるものを「常に」信じ続けている人々,また,自分たちの人生のわく組みをなしているあらゆるものに対して無感覚かつ無関心でいられる人たちが,どんなにか私には羨ましく思われることでしょう(注:not troubled by deadness and indifference/ラッセルはいろいろなことが気になるということ)。私はこれまで,この世界で何か役にたちたい,何か重要なことをなしとげたい,人類に新しい希望を与えたい,という野心を抱いてきました。そしてその機会が近づいている現在,その全てが塵や芥のごとく思われます。将来を吟味するとき,迷いから覚めた眼で凝視すると,私には,闘争につぐ闘争,人の心をかきむしる残酷さ,圧制,恐怖,それから卑屈な服従のみが見えます。私が夢想する,真っ直ぐで恐れを知らず寛容な人間は,はたして(将来)この地上に存在するようになるでしょうか。それとも,人間(人類)は,この世の終わりまで --即ち,地球が冷たくなり,太陽が死滅して,もはや人間の無益な狂乱に生気を与えることができなくなるまで-- 人間は戦いあい,殺しあい,苦しめあい続けるのでしょうか。私にはわかりません。しかし,私は,魂の絶望を味わっています。また,あたかも他の天体から地球に落ちてきたかのように途方にくれ,聞きとれないようなかすかな声で語り,世界を幽霊のようにさ迷い歩く時,私は大きな孤独を実感します。 前時代の戦いが続いています。'小さな喜び'と'大きな苦痛'との間の闘争です。私にとって,小さな喜びが(休息である)'死'であることを理解してます。にもかかわらず--(いや,こんなことを言うのは)私は非常に疲れているのです。ほんとうに疲れ果てているのです。理性と感情が私の中で死闘をしており,外に向かって活動するエネルギーは,私にはまったく残っていません。戦いを一切せずに,また冷酷さ,組織,規律が一切なしに,良いことを実現することはできないということを,私も理解しています。集団行動のためには,個人は機械にならなければならないことも理解しています。しかし,以上の事柄について,理性が私にそれらの考えを信じ込ませようとしても,何のインスピレーション(霊感や刺激)も見出せません(鼓舞されるものは何もありません)。私がインスピレーションを感じるのは,私が愛する個々人の魂の,その孤独,希望や恐れ,燃え盛る衝動や思いがけない突然の献身の中にです。こういったものから,軍隊や国家や官僚に到るまでには,非常に遠い(長い)行程があります。それにもかかわらず,人間が無用な感傷から逃れることができるのは,この長旅をすることによってのみなのです。 暴風雨下のような第一次世界大戦中の数年間を通して,戦後の(あなたとの)幸福な一日を夢見ました。その日,私は,あなたと一緒に地中海が見える陽のあたる庭 --その庭は,ヘリオトロープ(heliotrope:右欄下の写真参照)の花の香りに満たされ,糸杉や,西洋ヒイラギの神聖な木立に囲まれている-- に座り,(注:結局,ラッセルの心のふるさとは,幼少年時代過ごしたペンブローク・ロッジの庭なのだろうか/右下の水彩画参照)そこで,ついに私は,あなたへの愛を語り,苦痛と同じくらい本物の喜びに触れることができるのです。その時は来ています。しかし,私には別の仕事があり,あなたには別の望みがあります。そうして,じっと坐って黙想していると,あらゆる仕事が無駄であり,あらゆる願望が愚かなことのように思えてきます。といっても,私はこのような考え方にもとづいて行動をすることはないでしょう。 |
After I returned to England I endeavoured to express my changing moods, before starting and while in Russia, in the shape of antedated letters to Colette, the last of which I subsequently published in my book about China. As they express my moods at that time better than I can do by anything written now, I will insert them here: I London, April 24, 1920
The old struggle goes on, the struggle between little pleasures and the great pain. I know that the little pleasures are death and yet - I am so tired, so very tired. Reason and emotion fight a deadly war within me, and leave me no energy for outward action. I know that no good thing is achieved without fighting, without ruthlessness and organisation and discipline. I know that for collective action the individual must be turned into a machine. But in these things, though my reason may force me to believe them, I can find no inspiration. It is the individual human soul that I love - in its loneliness, its hopes and fears, its quick impulses and sudden devotions. It is such a long journey from this to armies and States and officials; and yet it is only by making this long journey that one can avoid a useless sentimentalism. All through the rugged years of the War, I dreamed of a happy day after its end, when I should sit with you in a sunny garden by the Mediterranean, filled with the scent of heliotrope, surrounded by cypresses and sacred groves of ilex - and there, at last, I should be able to tell you of my love, and to touch the joy that is as real as pain. The time is come, but I have other tasks, and you have other desires; and to me, as I sit brooding, all tasks seem vain and all desires foolish. Yet it is not upon these thoughts that I shall act.
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