* 右欄上写真出典:R. Clark's Bertrand Russell and His World, 1981.
* ベルサイユ条約
第一章 第一次世界大戦)(承前)
第一次世界大戦が終わった時,自分がそれまでやってきたことは,自分自身に対して以外,まったく何の役にもたたなかったことがわかった。私はたった一人の人間の生命を救うことさえも,また戦争を一分たりとも短縮することもできなかった。ヴェルサイユ条約をもたらす原因となった敵意(bitterness)を減らすためにいかなることもなすことに成功しなかった。しかし,ともかくも私は,すべての交戦国が犯した罪の'共犯者'ではなかったし,また,自分のためには,'新しい人生観(philosophy)'と'新しい青春'を得た。私は,'大学教師'であることと'厳格な人間(ピューリタン)'であることから解放された(免れた)。以前はまったくもっていなかった本能的なプロセス(本能が働くプロセス?)を理解することについて学んだ。また,非常に長い間孤立していたことから(独自の立場を貫いたことから),ある種の'心の平静さ'身に着けた。休戦期間中,人々はアメリカのウィルソン大統領に大いに期待を抱いた。他の人々は,ボルシェヴィキ・ロシア(革命ロシア)に霊感を見出した。しかし,これら2つの楽観主義の源のいずれも,私にとって,何の役にも立たないことがわかった時に,それにもかかわらず,絶望に陥らないでいることができた。今後,最悪の事態がやってくるだろうということは,慎重に検討した上での私の予想である(ラッセル注:ここの部分は,1931年に書いたものである)(松下注:勝利した連合国は,支払い不可能な賠償金をドイツに課した。当初期待された国際連盟も,アメリカは国内の反対が強く加盟せず,弱体であり,ラッセルは第一次世界大戦よりも残酷な世界大戦が起こるだろうと予測した。)しかし,私はそのことを理由に人間(の男女)は,究極的には,本能的な喜びの単純な秘訣を学ぶだろうという信念を捨てることはしない。
書簡集索引
(この後86通の手紙や声明が収録されている。手紙は適宜訳すことにして,次章に進むことにしたい。)
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When the War was over, I saw that all I had done had been totally useless except to myself. I had not saved a single life or shortened the War by a minute. I had not succeeded in doing anything to diminish the bitterness which caused the Treaty of Versailles. But at any late I had not been an accomplice in the crime of all the belligerent nations, and for myself I had acquired a new philosophy and a new youth. I had got rid of the don and the Puritan. I had learned an understanding of instinctive processes which I had not possessed before, and I had acqired a certain poise from having stood so long alone. In the days of the Armistice men had high hopes of Wilson. Other men found their inspiration in Bolshevik Russia. But when I found that neither of these sources of optimism was available for me, I was nevertheless able not to despair. It is my deliberate expectation that the worst is to come,' but I do not on that account cease to believe that men and women will ultimately learn the simple secret of instinctive joy.
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