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バートランド・ラッセル 自伝 第1巻第6章 - 重大な精神的打撃(松下彰良 訳)- The Autobiography of Bertrand Russell, v.1

前ページ 次ページ 第1巻 第6章(プリンキピア・マテマティカ)目次 総目次
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* 志村博「頭脳と閃きのグランチェスター」の「愛のグランチェスター」の一番下にミルハウス(水力製粉所)のカラー写真あり



 この(数理哲学に関する)講義が終了した頃 --当時私は,グランチェスターのミル・ハウス(左上写真出典:R. Clark's B. Russell and His World, 1981)で,ホワイトヘッド夫妻と一緒に暮らしていたが-- その前の(=2月にあった?)ものよりもより重大な精神的打撃が私を襲った(松下注:その前の打撃とは,ホワイトヘッド夫人が心臓病で苦しんでいても座視するだけで何も助けることができずショックを受けたことと思われます。また,春学期は1月5日から3月25日までとのことなので,この出来事は1902年の3~4月に起こったと推察されます。)私はある午後,自転車に乗って外出した。そうして田舎道を走っていた時,突然,私はもはやアリスを愛していないことに気づいた。その瞬間にいたるまで私は,彼女に対する,私の愛情が薄らぎつつあるなどということさえ思ったことがなかった。この発見によって生じた問題は非常に重大であった。私たち夫婦は,結婚以来,これ以上ないと思われるほど親密に暮らしていた。私たちはいつも同じベッドに一緒に寝ており,別々のドレッシング・ルーム(dressing room 寝室のとなりにある,着替えたり化粧をしたりする部屋)をもったことがなかった。二人のうちのどちらに起こった全ての問題について二人で話し合った。彼女は私より5つ年上であり,彼女の方が私よりずっと実際家で(経験に富んでおり),ずっと世知に長けている(世間的なことに通じている)と,私はいつも考えていたので,日常生活の問題の多くは,彼女のイニシアティヴにまかせた。彼女はいまなお深く私を愛していることがわかっていた。私は,彼女に不親切にしようなどという考えは少しもなかったが,当時私は,親しい間柄では真実を語るべきであると信じていた(その後の経験の教えによればそれは恐らく疑わしいことである)。とにかく私は,彼女を愛していないのに一瞬でも愛しているふりをいかにして上手にできるか,わからなかった。私は,もはや,彼女と性的関係をもちたいという本能的衝動をまったく感じなくなっていた。このことだけが,もはや彼女を愛せなくなったという私の感情を,どうしても隠し通すことをできなくさせた(乗り越えることができない障害となった)のであろう。こうした危機に際して,父の'しかつめらしさ'が私に現れ,彼女の道徳的批判をすることによって,自分自身を正当化し始めた。私は,彼女をもはや愛していないということをすぐに話さなかったが,彼女は,もちろん何かがうまくいっていないと感じた。彼女は,数ヶ月の間,安静療法に入った。彼女がそれを脱してから,私は彼女に,部屋を一緒にしたくないと言った。そうしてついに,私は彼女をもはや愛せなくなったと告白した。私は,彼女に対するこうした態度を,自分自身に対してと同様,彼女の性格を批判することによって正当化した。


Kindle series
About the time that these lectures finished, when we were living with the Whiteheads at the Mill House in Grantchester, a more serious blow fell than those that had preceded it. I went out bicycling one afternoon, and suddenly, as I was riding along a country road, I realised that I no longer loved Alys. I had had no idea until this moment that my love for her was even lessening. The problem presented by this discovery was very grave. We had lived ever since our marriage in the closest possible intimacy. We always shared a bed, and neither of us ever had a separate dressing-room. We talked over together everything that ever happened to either of us. She was five years older than I was, and I had been accustomed to regarding her as far more practical and far more full of worldly wisdom than myself, so that in many matters of daily life I left the initiative to her. I knew that she was still devoted to me. I had no wish to be unkind, but I believed in those days (what experience has taught me to think possibly open to doubt) that in intimate relations one should speak the truth. I did not see in any case how I could for any length of time successfully pretend to love her when I did not. I had no longer any instinctive imlpulse towards sex relations with her, and this alone would have been an insuperable barrier to concealment of my feelings. At this crisis my father's priggery came out in me, and I began to justify myself with moral criticisms of Alys. I did not at once tell her that I no longer loved her, but of course she perceived that something was miss. She retired to a rest-cure for some months, and when she emerged from it I told her that I no longer wished to share a room, and in the end I confessed that my love was dead. I justified this attitude to her, as well as to myself, by criticisms of her character.

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(掲載日:2005.11.21/更新日:2010.4.25)