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『ラッセル自伝』n.17(松下彰良・訳)

次ページ 前ページ  第1巻 第1章(幼少時代)累積版へ  総目次へ
 最も鮮明な,幼い時の私の記憶の多くは,恥かしい思い出(記憶)である。1877年の夏(ラッセル5歳),祖父母はカンタベリー大主教*注1からブロードステアーズ*注2の近くのストーン・ハウスと呼ばれた一軒の家を借りた。そこへゆく汽車の旅は私にはとても長いものに思われた。しばらくして私は,スコットランドに到着したに違いないと考えはじめていたので,次のように言った。
*松下注1:イギリス国教会とその世界的組織である聖公会(アングリカン・コミュニオン)の最上席の聖職者。2004年現在のカンタベリー大主教=第104代は,ローワン・ダグラス・ウィリアムス博士。カンタベリー大主教の公邸はロンドンのランベス宮殿/カンタベリー大主教公式サイト
*松下注2:Broadstairs, Kent, England の写真
「僕たちは今どの国にいる?」
祖父母たちはみんな私のことを笑って言った。
「海を渡らなくては英国から外に出られないということを知らなかったの?」
私はあえて説明しようとはしなかった。(松下注:言うまでもなく,ラッセルが言いたいのは,英国は,イングランド,スコットランド,ウェールズ,北アイルランドおよび植民地だった自治領から構成されており,スコットランド,は狭義の意味では,イングランドとは別の国のはずだということ。)そして恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。私たちがそこに滞在していたある日の午後,祖母とアガサおばさんと一緒に海岸に下りていった。私は新らしくおろしたばかりの長靴をはいており,そうして,私が外出するとき,私の保母は最後に私に次のように言った。
「長靴を濡らさないように気をつけなさいね」
しかし,上げ潮が岩の上の私をとらえた。そうして祖母とアガサおばさんは,岸まで水の中を歩いて渡るように言った。私はそうしようとはしなかった。そこでおばが渡ってきて,私を運ばなければならなかった。祖母とおばは,私が岸まで渡ってこなかったのは恐怖心からだと想像した。そうして,私は保母から禁じられていたからだということを決して話さず,その結果として,'臆病さ'について小言をいわれたが,私はそれを甘受した。
 けれども,大体において,私がストーン・ハウスで過ごした時間は非常に楽しいものであった。ノース・フォアランドについては,英国の4つの角の1つであると私は信じていたと記憶している。というのは,当時私は,英国は長方形の形をしていると想像していたからである。私は,大いに興味をそそったリッチボローの廃墟や,さらにそれ以上に興味をもったラムズゲートの(カメラ用)暗箱を覚えている。穂波豊かな'トウモロコシ畑'も記憶にある。しかし30年後にその近所に戻った時には,残念ながらもう無くなっていた。
 普通,海岸で楽しめるもの--笠貝,いそぎんちゃく,岩,砂丘,漁船,灯台等は,勿論のこと,ことごとく覚えている。笠貝というのは,それを岩からひきはがそうとすると岩にひっついてしまうというのがとても印象深かった。そこでアガサおばさんに「おばさん,笠貝って考えるの」と尋ねた。これに対し彼女は,「私にはわかりません」と答えた。そこで私はさらに,「それなら勉強しなければいけないね」と返事をした。


(松下感想)親からみた場合,子供の発言は,時に想像力豊かに見えたり,幼く見えたりする。親も自己中心的なところや先入観があり,「子供の言うことだから・・・」と言うかと思うと,「子供は(そのようなことで)嘘をつかない・・・」と言ったりして,自分の都合の良い解釈をしたりする。ラッセルの場合も同じであり,親が想像する以上に知的に早熟であるとともに,周囲の大人には理解されない子供らしい感受性も多く持っていた。それゆえ,しだいに内向的になっていくことになる。
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Many of my most vivid early memories are of humiliations. In the summer of 1877 my grandparents rented from the Archbishop of Canterbury a house near Broadstairs, called Stone House. The journey by train seemed to me enormously long, and after a time I began to think that we must have reached Scotland, so I said:
'What country are we in now ?
They all laughed at me and said:
'Don't you know you cannot get out of England without crossing the sea ?'
I did not venture to explain, and was left overwhelmed with shame. While we were there I went down to the sea one afternoon with my grandmother and my Aunt Agatha. I had on a new pair of boots, and the last thing my nurse said to me as I went out was:
'Take care not to get your boots wet !'
But the in-coming tide caught me on a rock, and my grandmother and Aunt Agatha told me to wade through the water to the shore. I would not do so, and my aunt had to wade through and carry me. They supposed that this was through fear, and I never told them of my nurse's prohibition, but accepted meekly the lecture on cowardice which resulted.
In the main, however, the time that I spent at Stone House was very delightful. I remember the North Foreland, which I believed to be one of the four corners of England, since I imagined at that time that England was a rectangle. I remember the ruins at Richborough which greatly interested me, and the camera obscura at Ramsgate, which interested me still more. I remember waving cornfields which, to my regret, had disappeared when I returned to the neighbourhood thirty years later. I remember, of course, all the usual delights of the seaside limpets, and sea-anemones, and rocks, and sands, and fishermen's boats, and light-houses. I was impressed by the fact that limpets stick to the rock when one tries to pull them off, and I said to my Aunt Agatha, 'Aunty, do limpets think?' To which she answered, 'I don't know.' 'Then you must learn,' I rejoined.