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『ラッセル自伝』n.14(松下彰良・訳)

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 私が初めてペンブローク・ロッジにやって来た時(ラッセル4歳,正確には3歳9ケ月位),ミス・ヘッチェルというドイツ人の保母兼家庭教師をつけられたが,その頃私は既にドイツ語は英語同様流ちょうに話すことができた彼女は私がペンブローク・ロッジに着いて数日後に去り,ウィルヘルミナ,略してミナというドイツ人保母がその後を引き継いだ。彼女が私を入浴させた最初の夜のことをはっきりと記憶している。その時は,身体をこわばらせていることが分別ある行為であると考えた。というのは,彼女が何を企てているのか私には理解できなかったからである。彼女のあらゆる努力を私が失敗に終わらせたので,最後には彼女は外部の助けを求めなければならなかった。しかし私はすぐに彼女に素直に従うようになった。彼女はドイツ語の文字(の書き方)を教えてくれた。(松下注:日高一輝氏は『ラッセル自叙伝』で,「彼女はドイツ語の手紙を書くことを教えてくれた。」と訳されているが,その後を読めばわかるように,letters は「手紙」ではなく「文字」を意味している。)私は,ドイツ語の大文字と小文字を全て習い終え,「さあ! 後残っているのは数字を習うだけだね」と言ったこと,それから数字は,ドイツ語においても(英語と)同じだということがわかり,安心するとともに驚いたこと,を記憶している。彼女は時々私をぴしゃりと平手でなぐったが,そのような時私は泣き叫んだことを思い出すことができる。しかし,そのことが理由で彼女に対する親しみが減るなどということはまったくなかった。私が6歳になるまで彼女は私についていた。
 彼女が私についていてくれた間じゅう,エイダというメイド(女中)も私についていた。エイダは,毎朝,私がまだベッドに寝ている間に,火をおこしていた。彼女はいつも'木切れ'が激しく燃えだすまで待ち,燃えだしたら石炭を投げ入れた。私は,木が燃えるパチパチという音とその明るさが好きだったので,彼女が石炭を投げ入れないようにといつも願っていた。そのメイドは私と同じ部屋に寝た。しかし私が思い出せるかぎりでは,衣服をしっかり着たままでも裸でもなかった。(精神分析の)フロイド主義者なら,この事実について好きなように説明・解釈することだろう。
* 映画:Gosford Park (ゴスフォード・パーク):英国上流社会(1932年の設定)をシニカルに描き絶賛された,ロバート・アルトマン監督によるミステリーコメディ(アカデミー賞脚本賞受賞)。貴族と使用人や使用人相互の関係をよく理解できる。DVD版には,長時間にわたるアルトマン監督による作品解説が収録されており,映画作りのノウハウがよくわかる。お薦めです。その1その2
When I first came to Pembroke Lodge, I had a German nursery governess named Miss Hetschel, and I already spoke German as fluently as English. She left a few days after my arrival at Pembroke Lodge, and was succeeded by a German nurse named Wilhelmina, or Mina for short. I remember vividly the first evening when she bathed me, when I considered it prudent to make myself stiff, as I did not know what she might be up to. She finally had to call in outside assistance, as I frustrated all her efforts. Very soon, however, I became devoted to her. She taught me to write German letters. I remember, after learning all the German capitals and all the German small letters, saying to her: 'Now it only remains to learn the numbers', and being relieved and surprised to find that they were the same in German. She used to slap me occasionally, and I can remember crying when she did so, but it never occurred to me to regard her as less of a friend on that account. She was with me until I was six years old.
During her time I also had a nursery maid called Ada who used to light the fire in the morning while I lay in bed. She would wait till the sticks were blazing and then put on coal. I always wished she would not put on coal, as I loved the crackle and brightness of the burning wood. The nurse slept in the same room with me, but never, so far as my recollection serves me, either dressed or undressed. Freudians may make what they like of this.