私の記憶している祖父(John Russell,1792-1878:第6代ベッドフォード公爵の三男にして,初代ラッセル伯爵/参考:ラッセル家の家系)は,80歳をゆうに越えており,(使用人が押す)日光浴用の車椅子に乗って庭をあちこち廻って(散歩して)いたり,英国下院議事録(ハンサード)を自室で坐って読んでいる姿である。私がちょうど6歳の時祖父は亡くなった。私は,祖父が亡くなった当日,(就学中だった)兄が,学期中だというのに辻馬車に乗って帰宅して来たのを見て,「万歳!」と叫んだ。すると私の保母が,「しっ! 今日は万歳なんて言ってはいけません」と言ったのを記憶している。この出来事から考えると,祖父は 私にとってそれほど重要な存在ではなかったと推論できる。 これと反対に,祖母(松下注:ミント伯爵の2番目の娘/祖父の後妻)は,祖父よりも23歳若く,私の幼少時代を通して最も重要な人物であった。祖母は,スコットランド系長老教会派に属し,政治と宗教においてはリベラル(自由主義的)であった(祖母は七十歳の時,ユニテリアン派になった)(注:Liberal と大文字になっていることから, Liberal Conservative 英国の自由主義的保守党員とも考えられるが, Liberal の直後に in politics and religion がついていることから、「リベラル」(自由主義的)の意味と負われます。)。しかし道徳上の問題についてはあらゆる面において極めて厳格であった。祖母は,祖父と結婚した時は,若くそして非常に内気であった。祖父は,男やもめで,2人の子供と4人の継子(ままこ/前妻の連れ子)があり,祖母と結婚して2,3年後に総理大臣になった。このことは祖母にとってきびしい試練であったにちがいない。少女の頃一度,詩人ロジャース(松下注:Samuel Rogers, 1763-1855: 英国の詩人)主催の有名な朝食会にどのように出かけていったか,また祖母の内気な様子を見てロジャースは,どのように言ったか,祖母は語った。「少しお話ししたら! そうした方がいいですよ,お嬢さん」,とロジャースは言ったそうである。祖母との会話から判断すると,祖母は恋愛感情を抱くような状況に近づいたことなど決してなかった,ということは明らかである。祖母はかつて,新婚旅行の時,(祖母の)母親が同行したのでどんなに慰められたかという話を私にしたことがあった。 またある時には祖母は,詩歌が,愛といったようないたってささいなことに,とても多くのかかりあいをもたなければならないということを嘆いていた。けれども祖母は,祖父には献身的な妻として仕えた。そうして,私が発見し得た限りでは,祖母のきわめてきびしい評定基準で自分の義務であると信ずることを為し遂げなかったことは一度もなかった。 |
(Russell Archives 所蔵)
My grandmother, on the contrary, who was twenty-three years younger than he was, was the most important person to me throughout my childhood. She was a Scotch Presbyterian, Liberal in politics and religion (she became a Unitarian at the age of seventy), but extremly strict in all matters of morarity. When she married my grandfather she was young and very shy. My grandfather was a widower with two children and four step-children, and a few years after their marriage he became Prime Minister. For her this must have been a severe ordeal. She related how she went once as a girl to one of the famous breakfasts given by the poet Rogers, and how, after observing her shyness, he said : 'Have a little tongue. You need it, my dear!' It was obvious from her conversation that she never came anywhere near to knowing what it feels like to be in love. She told me once how relieved she was on her honeymoon when her mother joined her. On another occasion she lamented that so much poetry should be concerned with so trivial a subject as love. But she made my grandfather a devoted wife, and never, so far as I have been able to discover, failed to perform what her very exacting standards represented as her duty. |