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電子掲示板の過去ログ(2008年〜2012年)

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   2008年〜2012年までの過去ログ  「新→古」の順

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(無題) 投稿者:佐藤 投稿日:2012年 7月 7日(土)08時26分48秒

わかりました。

丁寧な御対応、ありがとうございます。
追加の訳を、楽しみにしております。

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ご指摘ありがとうございます! 投稿者:松下彰良 投稿日:2012年 7月 5日(木)23時26分14秒

佐藤様

 ご指摘ありがとうございます。

 できるだけ早く通して邦訳を終えたいために、当初部分的に飛ばして訳しましたが、最後までいってから、全訳し直したつもりでした。
 まだ漏れていたところがあったということですね。
 早速訳し忘れていたところは、追加したいと思います。

 他に訳し忘れているところを発見されたら、この掲示板でも、メールでもどちらでもけっこうですので、ご指摘いただければ幸いです。(メールアドレスはHPのトップページに書いてあります。)

 今後ともよろしくお願いします。
  松下彰良

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(無題) 投稿者:佐藤 投稿日:2012年 7月 5日(木)22時02分3秒

あ、でも
http://russell-j.sakura.ne.jp/beginner/BEGINNER.HTM
では、『ラッセル幸福論(全訳)』という風になっています。

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(無題) 投稿者:佐藤 投稿日:2012年 7月 5日(木)21時59分28秒
松下 様

お返事ありがとうございます。

すみません。本当ですね。対応する部分の訳は同じ内容ですね。
内容が違うというのではなく、こちらは全訳ではなく、部分的な訳ということになるわけですね。

岩波文庫の、P.17〜P.22の
「自己没頭にはさまざまな種類がある。ごくありふれた三つのタイプとして、罪びと、ナルシスシスト、誇大妄想狂をとりあげてみよう。」から始まる部分が、こちらでは抜けているということでした。

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RE 幸福論について 投稿者:松下彰良 投稿日:2012年 7月 5日(木)21時38分44秒
佐藤様

 安藤先生の訳は全面的に参考にさせていただいています。安藤先生は英語学の大家ですので誤訳はほとんどないと思われます。ただし、私が納得がいかなかった(あるいは理解できなかった?)ところは、松下訳に説明をいれています。

 さて、第1章(何が人々を不幸にさせるのか?)の「不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である/The psychological causes of unhappiness, it is clear, are many and various という部分以降(岩波文庫のP.17以降→p.22以降?)の訳が安藤訳と松下訳とではかなり異なっているので、ベースにしたテキストが異なっているのではないか」、とのご質問です。

 ラッセルの著書(原著)の英米を中心にした出版状況(版・刷の違い)については、マクマスター大学のラッセル文書館の館長であったK.ブラックウェル博士のラッセル書誌(A Bibliography of Bertrand Russell, 3vols., Routledge, 1994)に詳しく書かれています。それによりますと、The Conquest of Happpiness, 1930 については、異なる版(テキスト)があるとは書かれていません。(ちなみに、Marriage and Morals, 1929 は1ケ所、テキストに違いがあり、Education and the Social Order, 1934 は米国版と英国版とで章立てが少し異なっています。)
 ラッセルの場合は、出版後に不適切な書き方をしていたり間違いに気づいた場合には、他の著書などで自分の間違いをすぐに公にしますが、改訂版を出すことはほとんどありません。それだけ自分が書いた著作に自信があるとともに、大きな間違いがあったり、考えに変化があった場合には、別の著書を書いたほうがよいと考え、実行しています。

 次に、テキストが同じだとしたら、どうしてそんなに訳が違うのかということですが、表面的な言葉遣いに違いはあるとはいえ、指し示す内容については、私にはそれほど違っているようには思えませんが、どのへんが、内容が違って見えるのでしょうか?

  下記に、@安藤訳、A松下訳、B原著(英語テキスト)、C安藤訳に下線を引き・松下訳を( )にいれたもの、のをあげておきます。
 それから、Dとして、参考まで、みすず書房版バートランド・ラッセル著作集の片桐ユズル訳をあげておきます。訳語の選び方、言葉使い、意訳をどれだけするかによって、訳文がかなり異なっているように感じられることと思います。
 松下訳でおかしいと思われるところがあればご指摘ください。納得できるご指摘であれば改訳します。

@安藤訳
 不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である。しかし、どの場合にも、ある共通点がある。不幸な人間の見本ともいうべき人は、幼い時にある正常な満足を奪われたため、この一種類の満足を何よりも大事に思うようになり、ために、自分の人生に一方的な方向を与え、それとともに、その目的にかかわる諸活動ではなく、その達成のみをまったく不当に強調するようになった人である。しかし、現在では、事態はもっと悪化していて、それがごく普通になっている。人は、完全に意欲をくじかれたと感じるあまり、いっさいの満足を求めようとしないで、気晴らしと忘却のみを求めることがある。それから、彼は、「快楽」に血道をあげるようになる。言い換えれば、活動的に生きることをやめることで、生活をなんとか耐えられるものにしようとするわけだ。たとえば、泥酔は、一時的な自殺行為である。酒のもたらす幸福は、単に消極的なもので、不幸の瞬間的な停止にほかならない。ナルシシストも、誇大妄想狂も、幸福を得るのにまちがった手段を採用するかもしれないが、幸福は可能だと信じている。 しかし、どのような形にせよ、酔いしれることを求める人は、忘却という以外の希望をあきらめてしまっている。

A松下訳
 不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である(悩み相談サイトの例)。しかし、いかなる不幸にも、共通点がある。不幸な人間の典型は、若いときに何らかの正常な満足を奪われたため、その一種類の満足を他の何よりも価値があると思うようになり、それゆえ、自分の人生に一方的な方向性を与え、その目的に関連した活動ではなく、その目的の達成のみをまったく不当に強調するようになった人である。しかし、現在(1930年頃)では、事態はもっと先をいっており、それがごく一般的となっている。完全に挫折したと感じ、満足を得ようとは一切しないで、気晴らしと忘却のみを人は求めるかもしれない。そうして、彼は、(一時的)快楽を追い求めるようになる。すなわち、非活動的になることで、人生を耐えられるものにしようとする。たとえば、泥酔は、一時的な自殺(行為)であり、酒のもたらす幸福は、単に消極的な、不幸の一瞬の休止にすぎない。ナルシシストも、誇大妄想狂も、幸福を得るのに誤った手段を採るかもしれないが、幸福は可能だと信じているが(「。」をつけるべきでした)、どのような形にせよ、陶酔を求める人は、忘却以外の希望をあきらめてしまっている。

B該当部分の原文テキスト
The psychological causes of unhappiness, it is clear, are many and various. But all have something in common. The typical unhappy man is one who, having been deprived in youth of some normal satisfaction, has come to value this one kind of satisfaction more than any other, and has therefore given to his life a one-sided direction, together with a quite undue emphasis upon the achievement as opposed to the activities connected with it. There is, however, a further development which is very common in the present day. A man may feel so completely thwarted that he seeks no form of satisfaction, but only distraction and oblivion. He then becomes a devotee of 'pleasure'. That is to say he seeks to make life bearable by becoming less alive. Drunkenness, for example, is temporary suicide; the happiness that it brings is merely negative, a momentary cessation of unhappiuess. The narcissist and the megalomaniac believe that happiness is possible, though they may adopt mistaken means of achieving it; but the man who seeks intoxication, in whatever form, has given up hope except in oblivion.

C下線部分が安藤訳、( )内が松下訳
 不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である。しかし、どの場合にも(いかなる不幸にも)、(ある)共通点がある。不幸な人間の見本ともいうべき人(典型)は、幼い時にある正常な満足(若いときに何らかの正常な満足)を奪われたため、この(その)一種類の満足を(他の)何よりも大事に(価値があると)思うようになり、ために、自分の人生に一方的な方向(方向性)を与え、それとともに、その目的にかかわる諸活動(関連した活動)ではなく、その(目的の)達成のみをまったく不当に強調するようになった人である。しかし、現在(1930年頃=補記)では、事態はもっと悪化していて(先をいっていて)、それがごく普通(一般的)となっている。人は、(←松下は主語は不要として削除)完全に意欲をくじかれたと感じるあまり(挫折したと感じ)、いっさいの満足を求めようとしないで(満足を得ようとは一切しないで)、気晴らしと忘却のみを求めることがある(人は求めるかもしれない)。それから(そうして)、彼は、「快楽」に血道をあげるようになる(一時的快楽を追い求めるようになる)。言い換えれば、(すなわち)活動的に生きることをやめることで(非活動的になることで)、生活をなんとか耐えられるものにしようとするわけだ(人生を耐えられるものにしようとする)。たとえば、泥酔は、一時的な自殺行為(自殺行為)である。(松下訳では、「あり」として次の文に続ける)、酒のもたらす幸福は、単に消極的なもので(松下は「もので」を省略し、次の「不幸」にかかるようにしている)、不幸の瞬間的な停止にほかならない(一瞬の休止にすぎない)。ナルシシストも、誇大妄想狂も、幸福を得るのにまちがった(誤った)手段を採用する(採る)かもしれないが、幸福は可能だと信じている。(が、→ ここに「が」を入れるのはよくないので、修正します!) しかし、どのような形にせよ、酔いしれることを求める人は(陶酔を求める人は)、忘却という以外の(←変な日本語ですね。/忘却以外の)希望をあきらめてしまっている。

D片桐ユズル訳(みすず書房版・バートランド・ラッセル著作集第6巻『ラッセル幸福論』)
  不幸の心理的原因が種々多様であることはあきらかである。しかし、すべてに何か共通なものがある。典型的な不幸な人は、こんな人だ、小さいときにしかるべき満足を得られなかったので、そのひとつの欲望充足を他の底によりも大切に思うようになり、したがって、それが彼の人生に一方的な方向づけを与え、その目的達成だけを、それに関係ある諸活動と反対なものとして、不当に強調する。しかし、現在よくあるのは、さらにすすんだ症状である。あるひとはあまりにも完全にしりぞけられていると感じて、いかなる形でも満足をもとめることはあきらめ、気ばらしと忘却とを求めている。そうすると彼は「快楽」の狂信者となる。彼は、人生を生き生きさせないことによって、耐えうるものにしようとしている。たとえば、よっぱらうことは一時的な自殺である、それのもたらす幸福は単に消極的であり不幸の瞬間的中止である。ナルシシストと誇大妄想狂は幸福は可能だと信じている、しかしそれを得るのにまちがった手段を採用している。しかしどのような形にしろ、よっぱらうことを求める人は希望をすててしまっていて、忘却しかない。 
http://russell-j.com/beginner/HA11-040.HTM


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幸福論について 投稿者:佐藤 投稿日:2012年 7月 4日(水)21時14分13秒
はじめまして。

とても参考になるサイトの運営、ありがとうございます。

さて、このサイトのどこかに記載されていることかもしれませんが、

岩波文庫「幸福論」安藤貞雄訳 (2004年1月26日 第19刷発行)を最近購入したのですが、
「何が人々を不幸にさせるのか?(What makes people unhappy?)」の章の最後の方が、
こちらのものと随分と違っています。

具体的に言うと、

こちらの
「4.不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である(The psychological causes of unhappiness, it is clear, are many and various)。・・・。」
という部分以降が全く以降が、岩波文庫の内容と全然違ったものになっているのです。
(岩波文庫のP.17以降)。

岩波文庫のは、違うバージョンの原著を訳したものなのでしょうか?
どなたか御存知の方は、教えて下さい。
岩波文庫バージョンの原著を、入手方法も、教えて頂けると幸いです。
よろしくお願いします。

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Re 無題 (御礼) 投稿者:松下彰良 投稿日:2011年12月10日(土)18時35分46秒
WTRA様

 ラッセル文献のご紹介、ありがとうございます。
 地元の図書館の蔵書をさっそく予約しました。
 御礼まで。 

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(無題) 投稿者:WTRA 投稿日:2011年12月10日(土)11時28分31秒
『数とは何か そしてまた何であったか』足立 恒雄 (著) 共立出版(2011年)

102-114頁にフレーゲについて,
132-134頁にラッセルについて,
それぞれ書かれています.
http://d.hatena.ne.jp/q_n_adachi/20110619/1308479302

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RE 済みません 投稿者:松下彰良 投稿日:2009年 9月28日(月)12時43分1秒z

オルトヴァ様

 了解しました。

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済みません 投稿者:オルトヴァ 投稿日:2009年 9月28日(月)00時17分44秒

済みません、矛盾はしていないと今気づきました。

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済みませんが典拠を 投稿者:オルトヴァ 投稿日:2009年 9月27日(日)16時39分40秒

こんにちは、ラッセルの知識を得るのに役立たせていただいています。

http://russell-j.com/cool/YOSIDA4.HTMで、
 反集合論系の数学が唯名論数学で、集合論系の数学が実念論数学であるとしてあると思いますが、典拠を教えていただけませんか。というのは、レスニェフスキーの場合は、唯名論であると同時に、反集合論数学だったという事情のようなので、関係の整理がつかないためです。

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RE 量子化でも良いのかしら? 投稿者:松下彰良 投稿日:2009年 8月 1日(土)20時31分32秒

エレガンツィア様

 失礼しました。
 「量子化」は「量化子」に(3ケ所)訂正させていただきました。
 御礼まで。  松下

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量子化でも良いのかしら? 投稿者:エレガンツィア 投稿日:2009年 3月26日(木)18時02分42秒

http://russell-j.com/cool/index.htmlでの説明については、

 量子化Quantizationと量化Quantificationを区別しなくていいでしょうか?

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仮言的三段論法は既にアリストテレスが極めていたのでは 投稿者:エレガンツィア 投稿日:2009年 3月26日(木)16時55分26秒

初めまして、素人の質問です。

 http://russell-j.com/cool/ISHI5.HTMの頁では、

 定言三段論法はアリストテレスによって一応完成されるのであるが、引き続きアリストテレスの弟子テオフラストス(Theophrastos, BC372-BC288頃)とストア派の哲学者によって仮言三段論法の研究が行われ、古代末期のローマの哲学者ボエティウス(Boethius 470-525)によって一つの絶頂に達するのである。仮言三段論法とは「AならばBである。しかるにAである、従ってBである。」というような論法で・・・

としてありますが、アリストテレスの三段論法は本質的に仮言的だ、としているルカシェヴィチのほうが誤っているのでしょうか。また、「Aであり且つBであるならばCである」という三段論法の展開が既にアリストテレスの書にありますが、その展開のほうが、上述の仮言的三段論法よりも仮言性が高いので、ボエティウスよりも前にアリストテレスのほうが仮言的三段論法を完成させていると言えないのでしょうか。
ラッセルの書 投稿者:ナオ 投稿日:2008年10月17日(金)20時57分47秒 i218-44-109-62.s02.a043.ap.plala.or.jp 返信・引用
大正10年に来日の際、ラッセルが京都にて自身の名前を揮毫(毛筆)した。
なんて事実はないでしょうか?(本願寺あたりで)
 変な投稿ですみません。m(_ _)m

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安福一郎資料 投稿者:akutsu 投稿日:2008年 8月26日(火)10時51分4秒

はじめまして
まったく通りすがりのものですが、
ヤフーオークションに安福一郎の胸像と大量の資料が出品されています。
中には手書きの原稿もあるみたいです。
価値があるものか分かりませんが一応お知らせします。
http://page3.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c52777354?u=;kuroneko_mee_kun


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内閣総理の回答について。 投稿者:早川公朗 投稿日:2008年 6月23日(月)10時11分26秒

 お世話に成ります。当方の問題解決に、一行に前進が見られぬ事で、官邸ホームページに、意見を公表いたしまして、其の回答を福田総理から戴きました。
内容は、記述を拝見しました。関係省庁へ通達文を送付しましたとの回答でありました。
当方としては、結果を確認する段階では無い為、見守る以外に方策がありません。
当方の問題は、当方が、被害者である事で、世間へ訴へ世に知らしめて、悪政を行なう行政と便宜供与での利権を武器に己の利益を求める。元自民国会議員と賄賂を供与し、其の見返りで、巨額の利益を貪る建設企業の存在が、一般県民の財産を侵害し、業者が杜撰な工事を齎せた事であるが、責任は行政にある処でも、双方で、責任は無いと言い続け、放置する事が、国の出先機関として、恥じるべきでありながら、知事も部下の言い分に添う姿勢は、正に犯罪組織での、何者でもないと被害者的に感じる者である。
こうした世の中を無視する行政が存在する事が、日本を台無しにする組織であると同時に国政にも言えるところである。

  平成20年6月23日    奈良県北葛城郡広陵町馬見北3−7−18                      早川公朗(69歳)電話番号0745-55-5312ファックス共。

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奈良県行政事案掲示板について。 投稿者:早川公朗 投稿日:2008年 5月20日(火)10時53分51秒

 初めまして宜しくお願い申し上げます。
当方の立場は、国の出先機関が、県民へ財産侵害を行こない、知らぬぞんぜぬを
貫き通して逃げ惑う卑劣な、犯行を重ねる者である。
真実は、一つそれ以外はありません。
 そこで奈良県行政事案掲示板を覗いてみてください。
此のサイトで、タイトル(政治時事社会問題にもの申す。)記述を御確認戴きます様にお願い申し上げます。
また此の社会問題に、権力に迎合する報道機関が、法律を犯した事案を黙認し行政側と司法の出した判断も疑問視する所で、疑問も持たず報道の立場を忘れ去る事において、その
存在価値の無い事に新聞社を含め、庶民からそっぽ向かれ経営破綻を来たす事であると申し上げる。

 平成20年5月20日
  奈良県北葛城郡広陵町馬見北3−7−18  早川 公朗(69歳)
                   電話番号 0745-**-**** ファックス共。
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日常言語派 投稿者:五十嵐広子 投稿日:2008年 4月 4日(金)23時21分41秒

>日常言語の分析に終始するオクスフォード学派の哲学者たちには反発を抱いていました。
おっしゃるとおりですね。

ネル・ノディングスの『教育の哲学』という本(1998年に書かれました。)に教育と分析哲学を扱った章がありまして、
彼はこう語っています。

「ラッセルの分析の構想は現実が分析可能であるという信念ばかりでなく、あらゆる言語形態がこの現実の中の何かしらを指していると言う信念にも同様に依存していた。この信念は今では支持できないように思われる」
また、
「分析哲学は着実にラッセル・タイプのそれから離れてきている。更にいえば、教育哲学者がラッセル流に研究を進めるのは有効ではなかった。教育哲学の研究は、まさに本質上価値に関わっている。今日、教育学の分析主義者は、意味を明るみに出し、実際場面で用語がどのように使用されているかを探る事と、妥当な使用法を限定することによって、概念上の違いを暴いている。」

ラッセルが今日生きていたら更に直反発することでしょう。

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Re ラッセルのユーモア 投稿者:松下彰良 投稿日:2008年 4月 4日(金)22時52分30秒

ご無沙汰しています。

 ラッセルというか、英国人のユーモアは自己防衛的な側面があるように思われます。よくいえば大人の態度であり、徹底的に落ち込む危険を回避できます。
 ラッセルは、祖母に厳しいしつけをされますが、祖母は何に対しても物怖じしないとともにユーモアもあり、ラッセルも影響を受けていると思われます。

 土屋先生の文章力(表現力)もたいしたものだと思いますが、後期ウィトゲンシュタインの影響を強く受けている多くの哲学者や思想家の例にもれず、日常言語(即ちその哲学者の母国語/土屋氏は日本人なので日本語)の分析に終始しています。ラッセルも曖昧な日常言語の分析による問題の精査は重要だと考えてはいましたが、周知のように、日常言語の分析に終始するオクスフォード学派の哲学者たちには反発を抱いていました。
 ということではありますが、哲学の軽い読み物としては楽しく読めますし、哲学を毛嫌いする人に勧め易い本です。


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ラッセルのユーモア 投稿者:五十嵐広子 投稿日:2008年 4月 4日(金)22時36分35秒

「徒然草3月20日」を読ませていただいて、少し驚きました。
松下さんが、土屋氏の本を何冊も読まれていたとは。
氏のユーモアへのこだわりは生まれもってのものと推測しています。
ラッセルもまたそうなのでしょうか。

在学当時氏に何度か記述理論について教えを請いましたが、
頭を掻きながら唸なるのみでした。
結論は、ラッセルを飛び越えてヴィトゲンシュタインだったのかと今更ながらに思います。

「徒然草」のページを読ませていただいた感想でした。
失礼致しました。