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『ラッセル自伝』AB23-020(松下彰良・訳)

次ページ 前ページ  v.2,chap.3 (China) 目次  Contents (総目次)
(第2巻第3章 中国)(承前)

 私たち(ラッセルとドーラ)上海に着いた時、誰も出迎えに来ていなかった。私は当初から、この中国への招待は悪戯かもしれないという深い疑惑を抱いていた。そこで、招待は本物かどうかを試験するために、出発する前に、私の渡航費(船賃)を、(招待状を送って来た)その中国人に支払わせた。私は、悪戯をするために125ポンドも費やす人はほとんどいないだろうと考えた。しかし、上海で誰も現れなかった時、私たちのその疑惑がまたよみがえって来た。そこで私たちは、もしかすると、シッポをまいてこそこそと帰国しないといけないかもしれないと考え始めた。けれども、それは私たちの友人たちが(ラッセル一行が乗った)船の到着時刻を少し間違えただけということがわかった。彼らはまもなく船にやって来て、そして私たちを中国のホテルに案内した(注:最初にラッセルが泊まったのは一品香(イ・ピン・シャン/イッピンシャン)旅館です。ラッセルは「このホテルで困惑の3日間を過ごした」と書いていますが,その次の日かどうかわかりませんが,右欄上の写真の Astor House Hotel(浦江飯店) に移り,room 310 に泊まっています。旅行記「中国で一番古いホテル 浦江飯店」に詳しく書かれています。「・・・。上海到着して最初の5日間はイギリス租界内西蔵路漢口路にある「一品香旅館」に投宿していた。「一品香旅館」は2階建ての中国式建物であったが1920年代には大きな建物に改装し、外国人が宿泊していた。その後この礼査飯店(浦江飯店の旧名)に移ったのであろう。」)。私たちは、そのホテルで、私がかつて経験した最も当惑した3日間を過ごした。当初ドーラのこと(ドーラとの関係)を説明するのはいささか困難であった。中国の友人たちは、彼女は私の妻であるという印象を持っていた。それで、実際はそうではないということを話すと、彼らは、彼らが早とちりの思い違いのために、私が迷惑しているだろうと気遣った。私は、ドーラを妻として扱ってもらいたいと彼らに話した。すると彼らは、中国の新聞に、その趣旨のステートメントを発表した。私たちの中国滞在期間の最初から最後まで、私たちが接触した中国人全てが、完全かつ完璧な礼儀をもって彼女を遇した。また彼女が実際に私の妻であったとしたら受けたであろうものとまったく同様の敬意を彼女は受けた。私たちが、彼女を常にを'ミス・ブラック'と呼んでくれるよう頼んでいたにもかかわらず、彼らは上記のような対応をしてくれた。
When we arrived at Shanghai there was at first no one to meet us. I had had from the first a dark suspicion that the invitation might be a practical joke, and in order to test its genuineness I had got the Chinese to pay my passage money before I started. I thought that few people would spend £125 on a joke, but when nobody appeared at Shanghai our fears revived, and we began to think we might have to creep home with our tails between our legs. It turned out, however, that our friends had only made a little mistake as to the time of the boat's arrival. They soon appeared on board and took us to a Chinese hotel, where we passed three of the most bewildering days that I have ever experienced. There was at first some difficulty in explaining about Dora. They got the impression that she was my wife, and when we said that this was not the case, they were afraid that I should be annoyed about their previous misconception. I told them, that I wished her treated as my wife, and they published a statement to that effect in the Chinese papers. From the first moment to the last of our stay in China, every Chinese with whom we came in contact treated her with the most complete and perfect courtesy, and with exactly the same deference as would have been paid to her if she had been in fact my wife. They did this in spite of the fact that we insisted upon her always being called 'Miss Black'.
(掲載日:2008.03.21 更新日:2011.9.7)