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『ラッセル自伝』(松下彰良・訳)

The Autobiography of Bertrand Russell
(London; Allen & Unwin, 1967-1969. 3 vols. illus. port. 25 cm.)


総目次

第2巻(1914-1944)第3章(通しで第10章):中国 累積版

  1. 私たち(ラッセルとドーラ)は、'ポルト(Portos)'という名前のフランス汽船に乗って、マルセイユから中国まで船旅をした。・・・。(We travelled to China from Marseilles in a French boat called Portos. )
  2. 私たち(ラッセルとドーラ)が上海に着いた時、誰も出迎えに来ていなかった。・・・。
  3. 上海では私たちは、中国人ばかりでなく、ヨーロッパ人、アメリカ人、日本人、朝鮮人というふうに、絶え間なく、多くの人々に会って時を過ごした。・・・。
  4. その地方の'督軍'(原注:地方の軍政長官/松下注:1916年〜1923年の間の中国の地方軍団長で地方長官を兼務)は私たちのために豪華な宴会を催してくれた。・・・。
  5. 北京滞在の最初の数ケ月間は,この上なくまったく完璧きに幸福な時であった。・・・。
  6. 私は(北京大学での)講義で非常に忙しかった。・・・。
  7. 私が講義をした北京国立大学は、非常に優れた大学であった。・・・。
  8. 中国は、動乱の中にあったという事実にもかかわらず、ヨーロッパと比べると、哲学的な'平静さ'に満たされている国のように,わたくしたちには思われた。・・・。
  9. 冬の北京の気候はとても寒い。・・・。
  10. 私は、回復期の全期間を通して弱弱しく、肉体上は非常に不快であったにもかかわらず、きわめて幸福だった。・・・。
  11. ドーラが私の看病をしたいと望んでいた時、日本の新聞記者たちは、彼女にインタビューに応じるよう求めてたえず彼女を困らせていた。・・・。
  12. 私は、病気になる前、中国を離れた後、日本で'講演旅行'をすることを引き受けていた。・・・。
  13. 私たちはまず初めに、ジャパン・クロニクル紙(Japan Chronicle)の編集長をしていたロバート・ヤングに会うために、'神戸'に行った。・・・。
  14. 女性に対する日本人の態度は、いくらか洗練されていない。・・・。
  15. 私たちは、猛暑のなか京都から横浜まで(東海道線で)10時間の旅をした。・・・。
  16. 私たちは、横浜(港)から、カナディアン・パシフィック社の船で、航海の旅に出た。・・・。

第11章