
私はかつて、列車の中で、あるアイルランド系アメリカ人の政治家と会話したことがある。その男は模範的な信仰心を持つ教会の忠実な信者だった。彼はウイスキーを飲むにつれてますます熱を帯びていき、自分は妻と子供たちに最大の愛情を抱いているが、密かに不貞を働く機会は決して逃さず、そうして後でその行為に対する赦しを得るのです、と私に確言した。このようなケースが非常に多いことは誰も否定できない。従って、旧来の制裁は、最も重視される事柄においてさえ、ほとんど効果がないように思われる。
I once in a train got into conversation with an Irish-American politician, a man of exemplary devoutness and a good son of the Church. He assured me, with increasing fervour as he drank his whisky, that he had the greatest affection for his wife and children, but never neglected opportunities for surreptitious fornication, for which, in due course, he would obtain absolution. No one can deny that such cases are extremely common. It would seem therefore that the old sanctions are largely ineffective even in the matters on which they lay most stress.
出典: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 13: Ethical Sanctions, n.5
詳細情報.: https://russell-j.com/cool/47T-1305.htm
<寸言>
どのような宗教の信者であっても、神の目を恐れるのであれば、悪いことをしないはずです。しかし、実際は、いかなる宗教の信者であっても、不適切な考えを持ったり、不適切な行為をしたりする者は、世の中にあふれています。
宗教指導者さえも、神や仏の教えに反したことを隠れてやっているのですから、彼らが一般信者に厳しい教えを説くことなどできないはずです。
悪いことを散々してきた人でも、死の間際に神(実際上は教会など)に赦しを乞えば赦してもらえるというのですから、宗教というものはいいかげんなものに思えてしまいます。 ラッセルも次のように揶揄しています。
「何も懺悔する必要のない99人の正しい人間の方が天国では、神のふところに帰った1人の罪人よりも、喜びを得ることが少ないという寓話を、よくよく考えたことがおありかな、フッフッフッ・・・」
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