バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 1914年のクリスマスの時期に, オットリンの助言で, この絶望感を堪え難いものにしない方法を見つけた。(即ち、)私は, 慈善委員会のために, 困窮するドイツ人を訪問し,彼等の状況を調査し, 援助に値する場合には, 彼らの苦しみを和らげる仕事にとりかかった。この活動をしている中で, 激しい戦争の最中に, 注目すべき思いやりの例に出会った。稀なことではないが, 貧しい人達の住んでいる近隣で, 女家主達は -自分達も貧しかったが- 家賃をとらずに, 彼らを住まわせてあげていた。なぜなら, 彼女達は,(英国の敵国人である)ドイツ人が職を見つけることは不可能であるということがわかっていたからである。

At Christmas time in 1914, by Ottoline's advice, I found a way of making despair not unendurable. I took to visiting destitute Germans on behalf of a charitable committee to investigate their circumstances and to relieve their distress if they deserved it. In the course of this work, I came upon remarkable instances of kindness in the middle of the fury of war. Not infrequently in the poor neighbourhoods landladies, themselves poor, had allowed Germans to stay on without paying any rent, because they knew it was impossible for Germans to find work.
 出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 1:The First War, 1968
 詳細情報.: https://russell-j.com/beginner/AB21-070.HTM

<寸言>
 自国内に住む外国人と仲良く一緒に暮らしていても、一端戦争がはじまって敵国となると、自国内に住む敵国の外国人はほとんど例外なくひどい扱いを受けます(また受けてきました)。
 第一次世界大戦の時に英国在住のドイツ人を支援する者は「非国民」とされたでしょうが、ラッセルは気にしませんでした。戦時にこのような支援活動をやることができた日本人はどれだけいたでしょうか?
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