Aが残酷だからといって、BがAに対して残酷であることが正しいということにはならない。正しいのは、Aがさらなる残酷な行為を行うのを(Bが)防ごうとすることだけである。よく起こるように、このことが処罰よりも親切であることによって達成される可能性が高いのであれば、親切であることの方がより良い方法である。・・・。この方法をヒトラーに適用することは不可能であったし、ヒトラーの場合に(も)成功しただろうと示唆したいとは思わない。しかし、この方法をドイツ国民に適用することは可能である(これは第二次世界大戦の1953年に書かれたものです)。
It does not follow, because A is cruel, that B is right to be cruel towards A. It follows only that he does right in trying to prevent A from committing further cruel acts. If, as may well happen, this is more likely to be effected by kindness than by punishment, then kindness is the better method. ...
It was not possible to apply this method to Hitler, and I do not wish to suggest that in his case it would have succeeded.
But it is possible to apply it to the German nation.
Source: Bertrand Russell: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 10:Is there ethical knowledge ?
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-1014.htm
<寸言>
同じような主張の繰り返しなので飽きてきたでしょうか?
しっかり身についている人には「釈迦に説法」ですが、頭で理解しているだけで実践できていない人には意味があることだと思われます。
他国民や他民族に対し残虐な行為をする言い訳に、相手をヒトラーやナチスにたとえるやり方がよく見られます。相手はヒトラー(ナチス)なのだから殲滅しなければならない(残酷な行為をしても正当化される)という主張です。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell