実際に生じる意見の相違のほとんどは、何が本質的な価値を持つかに関するものではなく、誰がそれを享受するかに関するものである。権力を持つ者は、当然のように、自分達に(権力者として)大きな取り分を要求する。この種の意見の相違は、単なる権力争いになりがちである。理論上は、この種の問題は、我々の一般的な基準、即ち、「最大の本質的価値を生み出すシステムが最良である」という基準によって決定することができる。両者がこの基準を受け入れた場合でも争いは残るかもしれない。しかし、その場合は、事実に関する争いとなり、少なくとも理論上は科学的な取り扱いが可能となるであろう。
Most of the disagreements that occur in practice are, not as to what things have intrinsic value, but as to who shall enjoy them. The holders of power naturally demand for themselves the lion's share. Disagreements of this sort tend to become mere contests for power. In theory, this sort of question can be decided by our general criterion: that system is best which produces a maximum of intrinsic value. Disputes may remain when both sides accept this criterion, but they will then have become disputes as to fact and will be, at least in theory, amenable to scientific treatment.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 10:Is there ethical knowledge ?
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-1013.htm
<寸言>
まったく個人同士の場合は別ですが、組織(最大の組織は国家)のあるところには必ず、最大の権力を持っている者(国家その他)が最大の分け前を要求します。自由諸国においても共産主義諸国においても同様であり、通常、強い順に多くの分け前をとっていきます。ただし、現代においては、露骨なやり方ではなく、自国を守ってもらうあるいは、支援してもらう約束のもと、2番手あるいは3番手の分け前を確保しようと努力します。
国家間に争いがある場合、事実に関する認識の違いで争っているように見せかけていても、それは建前であることをお互い承知していますので、力関係を考慮して、落としどころを決める作業を「政治」(国際政治)と呼んでいます。
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