私は自分の利益を自分が望む全てのものとして定義する。従って、私が他人の幸福を望む限り、それは私の利益の一部となる。従って、私の行動を決定するものは私が望むものであり、この意味ではエゴイスティック(利己的)であるが、望む対象に関しては必ずしもエゴイスティックではない。
I define my interests as all the things that I desire, and therefore, in so far as I desire the welfare of others, this becomes part of my interests. Although, therefore, what determines my action is what I desire, and is in this sense egoistic, it is not necessarily egoistic as regards the objects desired.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 10:Is there ethical knowledge ?
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-1010.htm
<寸言>
「自分のこと(利益)だけ考えている」という非難の言葉がありますが、「他人の利益も自分の利益」と考えることができれば(それだけ愛情の対象を広げ、寛容の心が持てれば)、「私は自分の利益を自分が望む全てのものとして定義する」というラッセルの趣旨をより理解することができそうです。
狭量なモラリストは自己犠牲を称揚したり、過大評価したりしますが、相手を理解しないで相手のためだと勝手に決めつけて行動することは、一人芝居(からまわり)の危険性大です。
その悪い例が、戦時中における特攻隊であり、政治的理由で統一教会の教えにしたがった国会議員(多くが安倍派の裏金議員)です。安倍総理(当時)の愛国心称揚も、明恵夫人の自己満足も、他人(自分を称賛する人以外)を理解する努力を怠った自己欺瞞の産物と言えます。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell