人々が良い感情を持つことを保証することは大変望ましいことであるが,それは説教によっては達成できない。それどころか,罪人を後悔させたいという願いを口実にその罪人への悪意を正当化することは,罪(の存在)を信ずることの影響の一つである。我々が罪に関する信念を放棄すれば,道徳を楯にして罪人に対する冷酷な感情を偽装することは,ずっと難しくなる。
To ensure that people should have good feelings is extremely desirable, but it cannot be achieved by preaching. On the contrary, one of the effects of a belief in sin is to justify malevolence towards the sinner under the guise of a wish to bring him to repentance. When we get rid of the belief in sin, it becomes much harder to disguise our unkind feelings, under a cloak of morality.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 10:Is there ethical knowledge ?
More info.: https://russell-j.com/EDIFY.HTM
<寸言>
人々が努力しなくても良い感情(幸福感)を持てるようになるためには、「幼年期における幸福」が重要だと、ラッセルは言っています。即ち、
"Happiness in childhood is absolutely necessary to the production of the best type of human being."
[幼児期の幸福(幼年期に幸福であること)は、最良のタイプの人間を作り出すためには、必須である。]
出典:『 ラッセル教育論』第1章「近代教育理論の前提条件」
https://russell.cool.ne.jp/beginner/OE01-120.HTM
嫉妬やねたみによって気に入らない人を過剰に非難する要因の一つに、積み重ねられてきた欲求不満があります。かなりの人が欲求不満のはけ口を求めており、「道徳を楯にして罪人に対する冷酷な感情を偽装」できる機会はかっこうの「はけ口」になります。(もちろん、「義憤」によって不正を非難するのはよいことです。)
なお、「To ensure that people should have good feelings」の部分の日本語訳に少し苦労しましいた。そこで google gemini と対話をしました。 その結果、「good feelings」は「(他人に対する)良い感情」ではなく、「(自分も含めた人々の)幸福感」であり、「ensure」の主体は自分ではなく、社会だという解釈にいたりました。(「人々が良い感情を持つように保証すること」という訳ではわかったようでわからない日本語訳になってしまいます。)
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