こうして私達は、先の章で論じた部分的善と一般的善の問題に導かれ、その章で示された議論によって「~すべき」の意味における客観性を確保する唯一の方法は、私達の集団を全人類、あるいは、恐らくもっと良いと思われる言い方をすれば、知覚を持つ全てのものを包含するまで拡大することだという結論に導かれる(達する)。この方法で、そしてこの方法によってのみ、Aという人間がBという人間に何をすべきかと言うことがAという人間が誰であるかによって左右されない、ということを保証できるのである。
We are thus led to the question of partial and general goods which was discussed in an earlier chapter, and are led, by the arguments given in that chapter, to the conclusion that the only way to secure objectivity in the meaning of “ought” is to enlarge our herd until it embraces all human beings, or, better perhaps, everything sentient. In this way, and in this way only, can we insure that what A says B ought to do does not depend upon who A is.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 10:Is there ethical knowledge ?
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-1009.htm
<寸言>
この議論を一般化すると、いかなる問題でも、一部の集団の問題、あるいは、一部の地域の問題だと思っても、その範囲(集団や地域)を全人類(あるいは知覚や意識をもったすべての存在)に広げて考える習慣をつけるとよい、ということになります。
”sentient"を「知覚能力がある」と訳しても誤解が生じるかも知れません。「意識を持った」(存在)と訳したほうが良いかもしれません。ロボットが自省して、生身の人間との違いに悩んで自殺をするということはほとんど考えられません。つまり"everything sentient"には含まれません。
なお、添付画像の「Sentient Machines - The Moral Dilemma of Creating Conscious Robots」という本について、次のような説明がつけられています。"sentient"という言葉の理解は人によって異なるようです。単なる感覚あるいは知覚を持ったロボットは"sentient"な存在と言えません。哲学では「意識」の問題を最大の問題の一つと考えていますが、科学者が使う「意識」は「感覚」や「知覚」の単なる延長のようです。
「意識を持つ人工知的生命体を創造することの倫理的、哲学的、技術的側面に深く切り込んでいる。この示唆に富む本は、AIとロボット工学の急速な進歩を探求し、意識の本質、創造者の道徳的義務、そして感覚を持つ機械の潜在的な社会的影響について重大な問題を提起している。・・・」
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