良心が何を命ずるかについても、神の意志が何を命ずるかと同様に意見の相違があり、科学のように意見の相違を解決するための公認の技法(手法)は存在していない。唯一認められているのは、大雑把な意味での、政府の技法(手法)である。(そこには)法律が禁じるものがあり、隣人が認めるものあるいは認めないものがある。これによって、同じ共同体や同じ国家の構成員の間に一定の合意が生まれるが、国境を越えた合意や異文化に及ぶ合意は生まれない。
There are just the same sort of disagreements as to what conscience prescribes as there are about the Will of God, and there is not, as in science, a recognized technique for resolving disagreements. The only recognized technique is that of government in a large sense. There is what the law enjoins, and there is what your neighbours approve or disapprove. This creates a certain amount of agreement among members of the same community or the same State, but it does not produce an agreement transcending frontiers or extending to different cultures.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 10:Is there ethical knowledge ?
More info.: https://russell-j.com/cool/47T-1005.htm
<寸言>
科学には国境がなく、科学は人類共通の資産だと言えます。物の考え方も似通っていれば、揉め事も少なくなります。しかし、文化は多様であることに価値があります。従って、異国の文化(異文化)を理解するためのコミュニケーション(異文化コミュニケーション)が大変重要だということになります。それが不十分であれば、「国境を越えた合意や異文化に及ぶ合意」は生まれません。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell