こうして、どのような行為が承認されるかということよりも、私達が目指すべき結果(効果)について人類の間でより多くの合意が存在しているという結論に導かれる。承認される行為とは幸福や快楽をもたらす可能性が高い行為であるというヘンリー・シジウィックの主張は、大ざっぱに言って真実だと考える。 以前は違反すると破滅的だと考えられていた古代のタブーが、そのタブーを生み出した信仰が忘れ去られてから長い間、慣習や伝統の力によって生き残っていることも稀ではない。しかし、そのような場合、タブーは不安定な生命を持ち、旅行や勉強(学習)を通じて、自分が育った環境とは異なる習慣に出会った人々によって投げ捨てられる傾向がある。
We are thus led to the conclusion that there is more agreement among mankind as to the effects at which we should aim than as to the kinds of acts that are approved. I think the contention of Henry Sidgwick, that the acts which are approved of are those that are likely to bring happiness or pleasure, is, broadly speaking, true. Not infrequently, an ancient tabu, which it was formerly thought disastrous to infringe, may survive, through the force of custom and tradition, long after the beliefs which gave rise to it have been forgotten. But in such cases the tabu has a precarious life, and is apt to be thrown over by those who come across, by travel or by study, customs different from those in which they have been brought up.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 9:Is there ethical knowledge ?
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0913.htm
<寸言>
私達は多くの「思い込み」をしています。同じ地域に住む多くの人が「こうしたほうがよい」とか「こうあるべきだ」と思っていても、別の土地(特に海外)にいくと、自分たちと異なる考え方の人々が不幸になっていなかったり、あるいはむしろ、より幸福だったりする姿を目にしたりします。
この事実から、旅行や勉強(学習)や異なる地域で暮らす体験などの重要性がよく理解できます。なぜなら、それらの経験によって、様々な「結果」を知ることができ、「結果」については、「原理原則論」よりも、多くの(国々の)人々の間に合意があるからです。
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