何らかの偉大な科学的な発見や発明をしようと実験に従事している人は、家族に貧乏を耐えさせたとしても、その努力が最後の成功で報いられるなら(名誉を与えられるなら)、後に非難されることはない。けれども、もしも彼が試みてきた発明や発見をすることに成功しないと、世間は彼のことを偏った人(crank)だと言って非難する。これは不公平に思われる。なぜなら、そういう企てをする場合、誰も事前に成功を確信できないからである(注:即ち、成功して誉められた人も、成功しない可能性だって十分あったはず)。
The man who is engaged in experiments with a view to some great scientific discovery or invention is not blamed afterwards for the poverty that he has made his family endure, provided that his efforts are crowned with ultimate success. If, however, he never succeeds in making the discovery or the invention that he was attempting, public opinion condemns him as a crank, which seems unfair, since no one in such an enterprise can be sure of success in advance.
Source: Bertrand Russell: he Conquest of Happiness, chap. 8: Zest
More info.:https://russell-j.com/beginner/HA22-060.HTM
<寸言>
「限られたパイの獲得競争」においては、努力して大きな成功を収める人はわずかです。努力しても報いられない、あるいはそこそこの成果しか得られない人のほうが圧倒的に多くいます。しかし、世間では、努力すれば必ず成功するという幻想がふりまかれます。競争の種類を(外に求めず)自分自身に求めれば、努力して成長すれば「成功」したと言えるかも知れませんが、それで満足する人はわずかです。
科学の世界は、「限られたパイの獲得競争」ではなく、新しいものを発見すれば誰でも成功できる世界です。しかし、科学的発見をする人よりも、発見できず日が当たらない人のほうがずっと多い、というのが現実です。科学者よりも一般人のほうが多いので、科学的発見に注力して家庭を犠牲にした人に一般社会はつらくあたります。しかし、自分を科学者にあてはめれば、そんな不公平な評価はしないはずです。やはり、「人は自分には甘く、他人には厳しい」というのが真実のようです。
生前は評価されず、死後に評価された人は芸術家に多く、科学者はそれほど多くはないようです。一人だけあげれば、コンピュータ科学の父と呼ばれているアラン・チューリングがいます。第二次世界大戦時、英国の暗号解読チームは、チューリングの協力を得て、ナチス・ドイツの暗号通信の解読に成功し、連合国の勝利に貢献しました。しかし、チーリング自身は不幸な生涯を送りました。私もアラン・チューリングの生涯を描いた映画(イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密)を Amazon Prime Video 見たことがあります。興味のある方は Wikepedia の記述を参考にしてください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0/%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%81%A8%E5%A4%A9%E6%89%8D%E6%95%B0%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86
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