私達は、一般的に承認(または不承認)される行為のできるだけ多くに共通する性質(property)を求めるようになる。もし全ての行為にそのような共通の性質があれば、それを「正しい」と定義することにためらいはないはずである。しかし、それほど好都合なものは見当たらない。私達が発見するのは、人々が承認という感情を抱く行為のほとんどは、ある共通の性質を持っており、この性質を持たない例外的な行為は、人々がその例外的な性格をはっきりと認識するようになると、もはや承認されなくなる傾向があるということである。
We are thus led to seek for some common property of as many as possible of the acts commonly approved (or disapproved). If all had such a common property, we should have no hesitation in defining this as “right”. But we do not find anything quite so convenient as this. What we do find is that most of the acts towards which people feel the emotion of approval have a certain common property, and that the exceptional acts, which have not this property, tend to be no longer approved of when people have become clearly aware of their exceptional character.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter98:Is there ethical knowledge ?
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0910.htm
<寸言>
人によって、民族によって、時代によって、多くの人が何を承認するか、あるいは承認しないか(反対するか)、が異なります。多くの人が持つ感情に影響されて、何を「正しい」と考えるか違ってくることがあるため、やっかいです。
多くの人が似た感情を持つ事柄(行為など)については問題は生じませんが、多くの人がばらばらの感情を持つ事柄(行為など)についてはどうしても問題や衝突が起きてしまいます。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell