(当時)私は、前述したパラドクス(論理的矛盾)を解決しようと懸命に努力していた。私は、毎朝, 1枚の白紙の前に坐っていた。短い昼食の時間をはさんで、1日中、毎日その白紙を見つめていた。しばしば、夕方になっても、白紙のままであった。・・・。1903年と1904年の夏は、完全な知的行き詰まりの時期として、私の記憶に残っている。パラドクスを解決しなくては先に進めないことは明らかであった。そこで、いかなる困難があっても『プリンキピア・マテマティカ』の完成だけはなしとげようと決意していた。しかし、私の残りの人生の全てがその白紙を眺めることに費やされるかも知れないと思った。
I was trying hard to solve the contradictions mentioned above. Every morning I would sit down before a blank sheet of paper. Throughout the day, with a brief interval for lunch, I would stare at the blank sheet. Often when evening came it was still empty. ... the two summers of 1903 and 1904 remain in my mind as a period of complete intellectual deadlock. It was clear to me that I could not get on without solving the contradictions, and I was determined that no difficulty should turn me aside from the completion of Principia Mathematica, but it seemed quite likely that the whole of the rest of my life might be consumed in looking at that blank sheet of paper. .
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967
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<寸言>
ヘーゲル好きの人はこのようなことで悩む必要がありません。ヘーゲルの弁証法(ヘーゲルの論理)によれば、「正」(の命題)と「反」(の命題)とが「外見上」矛盾しているように見えても、「止揚」(アウフヘーベン)することによって、「矛盾」が解消してしまいます。永久に「止揚」していけばいいのですから、「矛盾」を気にする必要はありません。
しかし、ラッセルが言っているのは「論理的」矛盾です。一つでも「論理的」矛盾を認めたらどんなに間違っていることでも「正しい」と証明できてしまいます。
ラッセルもケンブリッジ大学に入学した時は、ヘーゲルの哲学に染まりへーゲリアンになりますが、数年でヘーゲルを捨てることになります。一つには、ヘーゲルが数学をまったく理解せず、とても愚かなことを言っていることを発見したことも影響しています。
論理学は全ての学問の基礎になるので重要ですが、とても地味な学問(苦労は多いが認められることが少ない学問)です。そのため、ラッセルも後年、自分も科学者になればよかったと述懐しています。ラッセルのような能力があれば科学者としても成功したでしょうが、科学者は時代ととものその数を膨大に増やしていきますので、アインシュタインくらいにならないと、忘れ去られていく運命にありそうです。たとえば、日本人はほとんどの人が湯川秀樹を知っていますが、外国人はほとんどの人が知りません。
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