・・・。私達が固有の価値を与えがちなものを調べてみると、それらは全て欲求されるもの、あるいは享受されるものであることに気づく。 感覚が存在しない宇宙においては、いかなるものも価値があると信じることは困難である。これは、「固有の価値」が欲求あるいは快楽、または、その両方の観点から定義できる可能性があることを示唆している。
仮に「快楽は善であり、苦痛は悪である」と言うなら、私達は「快楽を好み、苦痛を嫌う」という以上のことを意味しているのだろうか? それ以上のものを意味しているように思えるが、それは確かに私達が言いたいことの一部である。 私達は、欲求されることの全てに固有の価値を付与することはできない。なぜなら、たとえば、戦争においては、どちらの側も勝利を望み、欲求は衝突するからである。
... When we examine the things to which we are inclined to attach intrinsic value, we find that they are all things that are desired or enjoyed. It is difficult to believe that anything would have value in a universe devoid of sentience. This suggests that ''intrinsic value’' may be definable in terms of desire or pleasure or both.
If we say "pleasure is good and pain is bad”, do we mean anything more than "we like pleasure and dislike pain”? It seems as if we must mean something more than this, but this is certainly a part of what we mean. We cannot attribute intrinsic value to everything that is desired, because desires conflict, for instance in a war, where each side desires its own victory.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter98:Is there ethical knowledge ?
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0907.htm
<寸言>
生命の存在しない世界には、価値も善悪も存在しません。
それなら人間が誕生する前、たとえば、猿人が一番高等だった時代には価値や善悪は存在しなかったのでしょうか? 人類が誕生し、人間を超えたものを想像するようになって初めて、価値や善悪が生まれたのでしょうか?
てっとりばやく結論を出したい人は、創造神を持ち出し、神が判断力を持つ人間を創造してくれたとして、考える手間を省いてくれます。しかし、それでも全能の神はどうして「罪」を犯しがちな人間を創造したのか、その意図を理解できません。理解できると主張する信者の方々はいっぱいいますが・・・。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell