哲学において,倫理的中立性はこれまでめったに追求されず、またほとんど達成されてこなかった。人々は自分の願望を思い出し,その願望と関連させて(諸)哲学を評価・判断してきた。善悪の観念が世界を理解する鍵を与えてくれるにちがいないという信念は,個別科学の世界から追い出されると,哲学に避難所を求めてきた。しかし,この最後の避難所からさえも,もしいつまでも哲学が心地よい夢の集合であってはならないと考えるならば,この信念は追い出されなければならない。
In philosophy, hitherto, ethical neutrality has been seldom sought and hardly ever achieved. Men have remembered their wishes, and have judged philosophies in relation to their wishes. Driven from the particular sciences, the belief that the notions of good and evil must afford a key to the understanding of the world has sought a refuge in philosophy. But even from this last refuge, if philosophy is not to remain a set of pleasing dreams, this belief must be driven forth.
Source: Bertrand Russell: Our Knowledge of the External World, 1914, chap. 1
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<寸言>
「哲学」という言葉は、本来の意味以外に、「人生哲学」「政治哲学」「社会哲学」「経営哲学」など、いろいろな意味合いで使われています。「人生哲学」というのは「人生観」くらいの意味であり、「政治哲学」や「社会哲学」などは「応用哲学」とでも言ったほうがよさそうです。
「政治哲学」の研究者であれ、「社会哲学」の研究者であれ、理論哲学の基礎の上に自らの理論を構築する必要がありますが、客観性や倫理的中立性の追及が不十分な人が少なくないように私には思われますが、いかがでしょうか?
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