倫理的な陳述(文)と思われるものを分析すると、「べきである(ought)」と「善い(good)」という2つの用語の一方または両方、あるいはそれらの同義語が存在することによって、事実に関する事柄を主張する陳述(文)とは異なることがわかる。これらの用語、あるいはこれらの同義語は、倫理学の最小限の語彙の一部だろうか? それとも、欲望や情緒や感情の用語で定義可能だろうか? もしそうだとすれば、それらはその言葉を使う人の欲望や情緒や感情に本質的に関係しているのか? それとも人類の一般的な欲望や情緒や感情に関係しているのか?
When we examine what purport to be ethical statements, we find that they differ from statements asserting matters of fact by the presence of one or both of two terms, "ought" and "good", or their synonyms. Are these terms, or equivalents of them, part of any minimum vocabulary of ethics? Or are they definable in terms of desires and emotions and feelings? And, if so, do they have essential reference to the desires and emotions and feelings of the person using the words, or have they a reference to the general desires and emotions and feelings of mankind?
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter98:Is there ethical knowledge ?
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0902.htm
<寸言>
「~は~であるべきだ」とか「~は善いことだ」と他人が言うと、それはその人の個人的な感情を言っているだけ(客観的な事柄ではない)と思う場合が多い反面、自分が同じような発言をする時には、事実を正しく認識すれば皆そう思うはずだ(主観的な主張ではない)と思う傾向があるのではないでしょうか?
ところで、「in terms of」は、「~の観点で」という意味とともに、「~の用語で」という意味がありますが、ChatGPT や Google gemini は「~の観点で」と解釈しました。しかし、私は次のように主張したところ、ChatGPT は私の解釈に賛成してくれました。
<私>
ラッセルは「べきである(ought)」と「善い(good)」という2つの用語は、倫理学の最小限語彙の一部だろうか?それとも、最小限語彙ではなく、別の用語で(さらに)定義できるだろうか?と言っています。従って、この「in terms of」は「~の観点で」ではなく、「欲望や情緒や感情に関する用語でさらに定義できるだろうか}と述べているようにも思えますがどうでしょうか? それとも「in terms of」はやはり「~の観点で」と解釈すべきでしょうか?
<ChatGPT>
ご指摘ありがとうございます。文脈をよく考慮すると、確かに"definable in terms of"は、「~の観点で定義可能か」というより、「~に関連する用語でさらに定義できるか」という意味で使われているようにも解釈できます。したがって、次のように解釈することができます:
「'べきである(ought)'や'善い(good)'などの用語は、倫理学の最小限の語彙の一部でしょうか? それとも、最小語彙ではなく、代わりの用語でさらに定義できるだろうか?」
この解釈に基づいて、"in terms of"は「~に関連する用語で」と解釈するのが適切であると言えます。つまり、「欲望や情緒や感情に関連する用語で」という意味になります。
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