バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 苦痛に対する同情、特に肉体的な苦痛に対する同情は、ある程度自然な衝動である。兄弟や姉妹が泣いているのを聞くと、子供は泣いてしまいがちである。この自然な衝動は奴隷所有者によって抑制されなければならず、抑制されると容易にその反対の衝動に転じ、単なる残虐行為への衝動を生み出す。しかし、この種の衝動は純粋なものではなく、その充足は満足感をもたらさない。そして、その衝動に溺れれば溺れるほど、恐怖はますます強まる。そのような人生(生活)には、内心の平和はあり得ない。現在認可されている形態の社会的不公正を受け入れ、実践する人々は、賢者や聖人の平穏を軽蔑するかもしれないが、彼らは無知ゆえにそれを軽蔑するのである。

Sympathy with suffering, especially with physical suffering, is to some extent a natural impulse: children are apt to cry when they hear their brothers or sisters crying. This natural impulse has to be curbed by slave-owners, and when curbed it easily passes into its opposite, producing an impulse to cruelty for its own sake. But impulses of this kind are not unmixed, and their satisfaction does not bring contentment. And the more they are indulged, the more fear is intensified. In such a life there can be no inward peace. Men who accept and practise currently licensed forms of social injustice may despise the tranquillity of the sage and the saint, but they despise it from ignorance.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 8:Ethical Controversy
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0809.htm

<寸言>
 現在では奴隷制度(という社会的不公正・不正義)はいかなる国でも認められていませんが、様々な形態の社会的不公正が許容されています(見て見ぬふりをされています)。
 「トリクル・ダウン・セオリー」(「富裕者がさらに富裕になると、経済活動が活発化することで低所得の貧困者にも富が浸透し、利益が再分配される」と主張する経済理論)などは大企業や富裕層にとっては都合のよい理論ですが、社会的弱者や経済的弱者にとっては残酷な理論です。小泉政権によって新自由主義の立場がとられ、それ以後、非正規労働者が膨大な数生み出されましたが、日本社会に大きな経済的格差(分断)を生み出してしまいました。
 「トリクル・ダウン・セオリー」には立っていないと言いながら、内心ではそれに近い考えや心情を持っている人たち(政治家、財界人、その他、経済的にめぐまれた人々)がけっこう存在しています。この30年間賃金はほとんど上がらず、アベノミクスによってむしろ「実質」賃金は下がり続けたことから、岸田総理も「トリクル・ダウン」は起きなかったと認めています。しかし、実際にやっている政策の多くは、その反省の上に立っていません。

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