バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


あるいは
 アマゾンで購入 
 この発言が何を意味するのか、正確に知ることは困難であるが、それはこの発言には修飾語(但し書き)がつけられているからである。著者(テナント博士)が宗教の「心理的」定義によって意味するのは、先に説明したように、人間が宗教として受け入れるものは何でもということであり、キリスト教徒が真の宗教とみなすものだけを意味するのではない。しかし、「いかなる宗教的感情も感じない」というのが何を意味するのかは明らかではない。私自身は、キリスト教的信仰と関連づけられがちな「感情」や「道徳的信念」は持っているが、「神や超自然的なものについての観念」は持っていない。

It is difficult to know exactly what is meant by this statement, owing to the qualifications with which it is introduced. By the “psychical” definition of religion the author means, as he has previously explained, whatever a man accepts in the way of religion, and not only what Christians regard as true religion. But it is not clear what is meant by “feeling no religious sentiment of any sort”. I myself have “sentiments” -- emotions and moral convictions -- which are apt to be associated with Christian beliefs, but I have no “ideas of deity or of the super-natural”.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 7:sin
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0708.htm

<寸言>
 何らかの宗教を信じている人に、実際のところ何を信じているのか質問してみれば、一体何を信じているのか、質問した人にも、信じている本人にも、よくわからなくなる事態が多く起こりそうです。
 その人が信じている宗教の「神」なるものは「全能の存在」なのか、「その全能の神」はこの世界をどういう目的で創造したのか(全能な神ならどうして神を裏切るような人間を創造したのか、全能なら事前に人間がどうなるか予測できたはずではないか)、ラッセルが抱いているキリスト教「的な」感情は、キリスト教の信者の同様の感情とどう違うのか、他の宗教を信じる人達を認めるのか認めないのか(キリスト教徒はイスラム教徒を認めないのか、その反対は?)等々、いろいろな疑問が湧いてきます。

#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell