バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


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 (中国滞在時、)ドーラが私の看病をしたいと望んでいた時,日本の新聞記者は,彼女にインタビューに応じるよう求めてたえず彼女を困らせていた。ついには,彼女が彼らにぶっきらぼうな態度をとったので,新聞記者たちは勘違いをし,日本の各新聞に,私が死亡したと報道させることとなった。このニュースは,郵便で日本からアメリカヘ,そしてアメリカから英国へと送られた。
(注:『大阪毎日新聞』1921年3月29日朝刊第2面」「思想界の巨星,ラッセル氏逝く」)

The Japanese journalists were continually worrying Dora to give them interviews when she wanted to be nursing me. At last she became a little curt with them, so they caused the Japanese newspapers to say that I was dead. This news was forwarded by mail from Japan to America and from America to England..
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 3: China, 1968
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB23-110.HTM

<寸言>
 ラッセルは中国滞在時(1921年初頭の冬)、インフルエンザにかかりますが、北京のロックフェラー血清研究所から提供を受けたワクチンによって九死に一生を得ます。しかし、(看病にあたっていたドーラがパパラッチのような失礼な日本の新聞記者にそっけない態度をしたために、)早とちりした日本の新聞記者が「ラッセル死亡」のニュースを打電したために、それが世界に(郵便で)通知されてしまいました。生きているうちに自分の死亡記事を読むという「稀有な体験」をしたと冗談交じりに次のように回顧しています。

【It provided me with the pleasure of reading my obituary notices, which I had always desired without expecting my wishes to be fulfilled. One missionary paper, I remember, had an obituary notice of one sentence: 'Missionaries may be pardoned for heaving a sigh of relief at the news of Mr. Bertrand Russell's death. [それ(その誤報記事)は、私に(生きながら)自分の死亡記事を読むという楽しみを与えてくれた。それは - そのような望みがかなえられるとは思ってもいなかったけれども- 私がずっと望んでいたことである。キリスト教系の(布教のための)ある新聞が,次のような一行の私(注:キリスト教の批判者)の死亡記事を載せていたのを記憶している。
「宣教師は,バートランド・ラッセル氏死去の報に接し,安堵から胸をなでおろしても(ほっとしてため息をついても)許されるであろう。」
 出典:ラッセル『自伝』第2巻第3章「中国・日本」】

#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell