ラッセル英単語・熟語1500 |
仮に、私が牡蠣は美味しいと言い、あなたが牡蠣はとても不味いと言ったとしても、我々はただ個人の好みを表明しているに過ぎないのであり、議論すべきものは何もないことを、我々は理解している。しかし、ナチスがユダヤ人を虐待するのは善いことだと言い、我々がそれは悪いことだと言う場合、我々はそれぞれが単に好みの相違を表明しているだけだとは感じない。・・・。
この感情は -決定的なものではないが- 尊重に値するものであり、あらゆる倫理的判断はまったく主観的なものであるという見解を安易に受け入れることを躊躇させるものだと、と私は考える。
If I say that oysters are good, and you say they are nasty, we both understand that we are merely expressing our personal tastes, and that there is nothing to argue about. But when Nazis say that it is good to torture Jews, and we say that it is bad, we do not feel as if we were merely expressing a difference of taste; ...
I think this feeling, though not decisive, deserves respect, and should make us reluctant to accept at all readily the view that all ethical judgments are wholly subjective.
Source: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), chapter 1
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-0103.htm
<寸言>
この立場(あらゆる倫理的判断はまったく主観的なものであるという見解)を価値情緒説(emotive theory of value)と言います。ラッセルも、論理的には価値情緒節を受け入れざるを得ないと考えますが、ラッセルの感情は激しく抵抗し、なんとか、価値情緒説以外の価値理論を構築しようと格闘することになります。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell