ラッセル英単語・熟語1500 |
思うに、問題の本質は、人々が自分が意図するところとは正反対の結果を持つことを行う(ような)異常な興奮状態の中にいるのは良くないということである。たとえば、立ち止って(車の)往来に注意することができなくて、道路を走ることで死んでしまうといった場合である。そのような振る舞いを賞賛する人は、偽善を成功させたいと望んでいるのか、あるいは、屈服することに耐えられない何らかの自己欺瞞の犠牲者であるかの、いずれかに違いない。私は両方のこのような精神状態を悪いと考えることを恥ずかしいとは思わないし、もし、そういう精神状態を悪いと考えることのために、私があまりに理性的に過ぎるとして責められるならば、私はむしろ有罪を求める。
I suppose the essence of the matter is this: that I do not think it a good thing to be in that state of insane excitement in which people do things that have consequences directly opposite to what they intend, as, for example, when they get themselves killed in running across a street because they could not stop to notice the traffic. Those who praise such behaviour must either wish to practise successful hypocrisy or be the victims of some self-deception which they cannot bear to surrender. I am not ashamed of thinking ill of both these states of mind, and if it is for thinking ill of them that I am accused of excessive rationality, I plead guilty.
Source: Bertrand Russell: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), preface.
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-preface-06.htm
<寸言>
「屈服することに耐えられない自己欺瞞」(elf-deception which they cannot bear to surrender.)というのは「認めたくないために自己欺瞞に陥ってしまうこと」。
第二次世界大戦における日本の戦争指導者やその子孫、また、右翼的な考えの人達は、戦争責任を過小評価し、国民の目をそらすために、戦争で亡くなった人達を「英霊」として過剰にほめたたえる人が多いように思われます。深い反省のもとに戦争で亡くなった人達を追悼することはよいことですが、日本の加害行為に目をつむり、「お国のために散った人達」を称賛ばかりしている人は、都合の悪いことにふれられたくないと思っている人が多そうです。
ラッセルも次のように言っています。
「愛国者は,いつも、国(祖国)のために死ぬとは言うが,国(祖国)のために外国人を殺すとは言わない.」
( Patriots always talk of dying for their country and never of killing for their country)
https://russell-j.com/beginner/sp/BR-KAKUGEN136.HTM
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