ラッセル英単語・熟語1500 |
しかし、私が激しい感情を好まないとか、感情以外の何かが行為の原因たり得ると考えているとされているのならば、私はそういう告発を断固拒否する。私の期待する世界は、感情は強くても破壊的ではない世界、また、感情が感情として認められているので、それが自己をも他人をも欺くことにはならない世界である。そのような世界には、愛と友情があろうし、芸術や知識の追求が所を得るであろう。私にはより狂暴なものを望む人々を満足させることはできそうにない。
But if it is supposed that I dislike strong emotion, or that I think anything except emotion can be a cause of action, then I most emphatically deny the charge. The world that I should wish to see is one where emotions are strong but not destructive, and where, because they are acknowledged, they lead to no deception either of oneself or of others. Such a world would include love and friendship and the pursuit of art and knowledge. I cannot hope to satisfy those who want something more tigerish.
Source: Bertrand Russell: Bertrand Russell: Human Society in Ethics and Politics, (1954), preface.
More info.:https://russell-j.com/cool/47T-preface-07.htm
<寸言>
「強い感情の持ち主」にも、「凶暴なこと」を好む人がけっこういます。ラッセル自身も恋愛や世界の窮状について強い感情を持ち続けましたが、「凶暴なこと」は嫌いでした。
ゲーム(たとえばPCゲームなど)には、大量の敵を殺害するようなものがありますが、そういったものを好む人と嫌う人とでは、感性に大きな違いがありそうです。そういったことを好むゲーマーは「ゲームにすぎない」と言って、残酷なゲームに違和感を持ちません。しかし、架空のゲームであっても、そういったことに興ずる人に私は共感できません。
たとえば、湾岸戦争などで米国が大量のミサイルをバクダットなどに打ち込み、空が明るく輝く映像をみても、そういった人達には、そのもとで苦しんで死んでいく人達のことは浮かんでこず、「けっこう、美しい(綺麗な映像だ)!」という感想しか持ちそうもありません。
つまり、ラッセルが主張するように、望ましい世界とは、「感情は強くても破壊的ではない世界、また、感情が感情として認められているので、それが自己をも他人をも欺くことにはならない世界」です。プーチンやトランプや金正恩や日本の国家主義者達が望む世界には住みたくありません。
https://russell-j.com/beginner/sp/BR-KAKUGEN136.HTM
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