ラッセル英単語・熟語1500 |
1914年8月から1917年の終りまで、私は自分が戦争に反対したことから生じた諸問題に没頭していたが、1918年始めには、平和主義者として有益にできる仕事はこれ以上ないと信ずるようになっていた。以前に執筆することを約束していた『自由への道』と名付けられた本をできるだけ早く書き上げたが、それが私の手を離れると、私はふたたび哲学の問題の仕事(研究)を始めた。私は、前章の中で、私が刑務所に入る直前に書き終えた論理的原子論についての講演(の内容)について取り扱った。刑務所の中で、私は J. デューイに対する攻撃的な批評を書き、ついで『数理哲学入門』を書いた。
From August 1914 until the end of 1917 I was wholly occupied with matters arising out of my opposition to the war, but by the beginning of 1918 I had become persuaded that there was no further pacifist work that I could usefully do. I wrote as quickly as I could a book, which I had contracted to produce, called Roads to Freedom, but when that was out of the way I began again to work at philosophical subjects. I have dealt in the preceding chapter with the lectures on Logical Atomism which I finished just before going to prison. In prison, I wrote first a polemical criticism of Dewey and then the Introduction to Mathematical Philosophy.
Source: Bertrand Russell : My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_11-010.HTM
<寸言>
『数理哲学入門』は、第一次大戦中の一九一八年の五月から九月までの四ヵ月半の間、ラッセルが反戦運動のかどで投獄されているあいだに書かれたものです。刑務所の中でよく書けたものだと思ってしまいますが、それができたのは『ラッセル自伝』に詳しく書かれています。即ち、(1902年7月から1905年12月まで英国首相を務めた)アーサー・バルフォア(バルフォア宣言で有名)の仲介によって、刑務所の第一部門(有料!)に入れてもらえたおかげです。それは、兄のフランク・ラッセル(第2代ラッセル伯爵)の尽力によるものでした。ラッセルは『自伝』のなかで「室料を払わなかったら、どうなるんだろうか?(刑務所から退去させられるのだろうか?)」と冗談を言っていますが、もちろん、そんなに甘いことはなく、居心地の悪い(政治犯用の)独房に入れられるだけです。
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