ラッセル英単語・熟語1500 |
思考は本質的に非個人的で何かにとらわれることのないものであり、本能は本質的に個人的で個別的状況に結びついている。両者の間には、共に高い水準に達しない限り、容易に宥和しない戦いが存在している。
このことが根本的な理由となって、生気論(訳注:生命に非生物にない特別な力を認めるもの)、未来主義、プラグマティズム、及びその他の自らを精力的かつ男性的であると宣伝する哲学が生まれた。それらの哲学は全て本能に敵対しない考え方(思考様式)を見つけ出そうとする試みを代表している。その試み自体は賞賛に値するが提供される解決策はあまりにも安易である。そこで提供されていることは思索を本能に従属させることにほかならず、思索をしてそれ自身の理想を達成せしめることへの拒否に他ならない。個人的なものを超克できない思索は真の意味での思索ではない。・・・
Thought is in its essence impersonal and detached, instinct is in its essence personal and tied to particular circumstances : between the two, unless both reach a high level, there is a war which is not easily appeased. This is the fundamental reason for vitalism, futurism, pragmatism, and the various other philosophies which advertise themselves as vigorous and virile. All these represent the attempt to find a mode of thought which shall not be hostile to instinct. The attempt, in itself, is deserving of praise, but the solution offered is far too facile. What is proposed amounts to a subordination of thought to instinct, a refusal to allow thought to achieve its own ideal. Thought which does not rise above what is personal is not thought in any true sense : ...
Source: Principles of Social Reconstruction,1916, chap. 7
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<寸言>
「自分の気持や本能に素直なことはよいことだ」と自らを甘やかし、骨の折れる思索をなしにすます。
そういった、自分の頭であまり考えない習慣の人は、いわゆる「浮動層」となってあっちへいったり、こっちへいったり。結局は間違っていることがわかっても、「多くの人が間違ったのだから、自分が間違うのも無理はない」と自分に対して「寛容」になれる。現代においてそういった「支持政党なし」その他、世間の大勢意見を知ってから自分の意見を言う人が増えているのは、よい方向に働く時はいいですが、その反対の場合は・・・。
なお、牧野編『ラッセル思想辞典』(早稲田大学出版部刊)の該当項目では、一行目の「思索(Thought」)は本質的に非個人的で・・・」のところを、「知能(マインド)は本質的に非個人的で・・・」と訳出してしまっています。『ラッセル思想辞典』は要旨訳となっている部分がけっこうありますが、多分引用文の少し前の一文「The life of the mind consists of thought which is wholly or partially impersonal, in the sense that it concerns itself with objects on their own account, and not merely on account of their bearing upon our instinctive life.」とごっちゃまぜ?にしてしまったのではないかと思われます。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell