バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Ru
ssell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 (ラッセルの)記述理論の中心的な要点は、一つの句は - 文から分離すると全く意味を持つことなく- 文の意味に寄与することがあるということである。(訳注:一つの句は、文章の意味に寄与することがありながら、それだけ孤立させると意味を持たないことがあるという)。このことについて、記述の場合においては、正確な証明が存在している。(即ち)もし「ウェイバリーの著者」が「スコット」以外の何ものかを意味するとすれば「スコットはウェイバリーの著者である」は偽となるが、これはそうではない。またもし「ウェイバリーの著者」が「スコット」を意味するとすれば、「スコットはウェイバリーの著者である」はトートロジー(訳注:「スコットはスコット」つまり、A = A で常に正しいため=恒真命題)となるが、これもそうではない。それゆえ、「ウェイバリーの著者」は、「スコット」をもまた他の何ものをも意味しない、つまり、「ウェイバリー著者」は何ものも意味しない。証明終り。

The central point of the theory of descriptions was that a phrase may contribute to the meaning of a sentence without having any meaning at all in isolation. Of this, in the case of descriptions, there is precise proof: If 'the author of Waverley' meant anything other than 'Scott', 'Scott is the author of Waverley' would be false, which it is not. If 'the author of Waverley' meant 'Scott', 'Scott is the author of Waverley' would be a tautology, which it is not. Therefore, 'the author of Waverley' means neither 'Scott' nor anything else - i.e. ‘the author of Waverley' means nothing, Q.E.D.
Source: My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell
 More info.: https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_07-150.HTM

<寸言>
 フレーズ(句)は特定の文の中に挿入される(含まれる)と意味を持つようになるが、分離する(分離される)と何ものをも意味しなくなってしまうということです。
 わかりにくい場合は、今回引用した文章の直前に書かれている下記の文章を参照してください。

【 記述理論は、また、「存在」の意味についても光を投じた。「ウェイバリーの著者は存在する(実在する)」が意味しているのは、「『x がウェイバリーを書いた」は『xは cである』と常に等値であるという命題関数を真とするような c の値が一つ存在する」,である。
 この意味における存在は、一つの記述についてのみ主張しうるのであり、分析すれば、一つの命題関数がその変項の少なくとも一つの値について真であるということの一つの事例であることがわかる。我々は「ウェイバリーの著者は存在する」と言ってよいし、また、「スコットはウェイバリーの著者である」と言ってよいが、「スコットは存在する」というのは悪しき文法である(文法上間違っている)。これは、せいぜい(at best よくても)「『スコット』という名前の人物が存在する」を意味すると解釈可能であるが、「『スコット』という名前の人(人物)」は(一つの)記述であって固有名ではない。固有名が固有名として適切に用いられる時は常に「それ(=固有名で表されるもの)は存在する」ということは文法連反なのである。】

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