バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 私達(ラッセルとエディス)は私の誕生日(1957.5.18)にミルバンク(ロンドンのテムズ川沿い)で小さなパーテイを開き,何人かの旧友と親戚の前で,その本を喜んで披露した。それが私がアラン・ウッドに会ったほぼ最後であった。このパーティでの集まりの後,間もなく,彼は重い病にかかり,10月に亡くなった。それから2ケ月と少したってから,彼の妻のメアリーが亡くなった。それはまことに痛ましい損失(胸が締め付けられる出来事)であった。彼らは若く幸せで,聡明で,有能であり,そうして自分達の将来と二人の小さな息子達の将来のために多くの計画をたてていた。

We launched it (the book = A. Wood's Bertrand Russell, a passionate sceptic) pleasantly among some of my old friends and relations at a small party at Millbank on my birthday. This was almost the last time that I saw Alan. He fell very ill shortly after this and died in October. A little over two months later, his wife. Mary, died. It was a heart-breaking loss. They were young and happy and clever and able, and full of plans for their future and that of their two small sons.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB33-010.HTM

<寸言>
 ラッセルはロンドン市内に出た時に宿泊所として使えるように、テムズ川沿いのミルバンクにフラット(アパート)を持っていました。別宅としてのフラットと言っても貴族所有のものなら立派なものだろうと思ってしまいますが、とても質素なものだったようです。
 朝日新聞の(故)森恭三氏(1966執筆当時は論説主幹)は、ラッセルがA.ウッドの著書『バートランド・ラッセルー情熱の懐疑家』の出版記念パーティを開いた同じ1957年の暮に、そのフラットを訪れており、次のように書いています。

「氏は貴族であり,田舎の屋敷は広大かも知れないが,ロンドンのフラットは下宿がわりに使っていたらしく,非常に質素なものであった。そのときすでに85才であったから,今日(=1966年)では94才という勘定である。その後,核兵器反対の街頭デモや坐り込みの先頭に立ったくらいであるから,私との対談当侍,こちらがびっくりするほど若々しい,張りのある声でしゃべったのも当然のことであったろう。私の語学力ではメモもとれぬくらい早口ではないかと思って速記の用意をしていったのであるが,その必要もなかったほど,わかりやすい,静かでゆっくりした話しぶりであった。(『日本バートランド・ラッセル協会会報』n.4(1966年5月)p.1)
 アラン・ウッド著『バートランド・ラッセルー情熱の懐疑家』は日本語でも(故)碧海純一(東大法学部教授)の名訳でだされており、現在でも(古本ですが)アマゾンで購入できます。一読をおすすめします。

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